Ⅰ 事案の概要
本件は、ITソフト開発等の事業を行っている被告株式会社アイ・デイ・エイチ(以下、「Y社」)に採用され、在宅勤務でデザイナーとしての業務に従事していた原告(以下、「X」)が、①Y社の違法な出社命令等によって労務を提供できなかったと主張して、民法536条2項に基づき労務を提供できなかった期間(令和3年3月分及び同年4月分)の賃金等、②在宅勤務期間中、所定労働時間外に労務を提供したと主張して、時間外労働に対応する割増賃金等を請求した事案です。
一方、Y社も、Xが、在宅勤務期間中に勤務していないにもかかわらず、勤務していたと虚偽の報告をしたなどと主張して、賃金規程に基づき、不就労時間に相当する賃金額の返還を請求しました。
Y社代表者は、Xの採用面接において、在宅勤務を基本とするが、何かあれば出社できることが必要である旨を伝えていました。また、労働契約書上の就業場所は「本社事務所」と記載されていましたが、Xは、令和3年3月3日まで自宅で業務を行っており、初日のほかにY社の事務所に出社したのは一度だけでした。
Xは、在宅勤務期間中に、他の従業員とSlackのダイレクトメッセージ機能を用いてやりとりをしていたところ、その中にはY社代表者を揶揄する内容(以下、「本件やりとり」)が含まれていました。本件やりとりを把握したY社代表者は、令和3年3月2日、Xに対し、本件やりとりを根拠に出勤停止1か月等とする懲戒処分(以下、「本件懲戒処分」)を通知しました。Xがこれに抗議すると、Y社代表者は、本件懲戒処分を保留としつつも、最終的な決定が出るまでは管理監督の観点から在宅勤務を禁止し、Y社事務所への出社を命じました(以下、「本件出社命令」)。
Xは、令和3年3月4日以降、Y社事務所に出社しなかったところ、Y社代表者はXを欠勤扱いとし、2週間連続の欠勤で退職する旨の就業規則の規定を根拠として、Xを同月18日に退職扱いとし、同月19日、Xにこれを通知しました。その後、XもY社に退職する旨を申し入れて、遅くとも同年4月4日にY社を退職しました。
Ⅱ 争点
主な争点は、①Xが令和3年3月4日以降に労務を提供していないことはY社の「責めに帰すべき事由」(民法536条2項)によるものか(本件出社命令の有効性)、②Xの実労働期間、の2点です。
① Y社の「責めに帰すべき事由」(民法536条2項)によるものか(本件出社命令の有効性)
Xが令和3年3月4日以降に労務を提供していないのは、Y社代表者が在宅勤務を禁止し、Y社事務所への出社を命じたためであるところ、Xは、本件出社命令は無効であると主張し、Y社は、同命令は有効であると主張しました。
② Xの実労働期間
Xは、毎月、Y社に対し、労働時間を記載した工数実績表を提出しており、これに基づいて労働時間を認定すべきであると主張したのに対し、Y社はこれを認めず、業務用パソコンにインストールされていたツール(キー操作数、マウス操作数、見ているウィンドウタイトル等を取得するためのツール(以下、「本件ツール」))の計測結果をもとに不就労時間を算定し、これに対応する賃金を返還すべきであると主張しました。
Ⅲ 判決のポイント
① 本件出社命令の有効性
Xの不就労がY社の責めに帰すべき事由によるものかを判断する前提として、本件出社命令の有効性が判断されました。
裁判所は、労働契約書の記載にかかわらず、Y社の代表者自身が自宅で勤務しても問題ないこと、リモートワークが基本であるが、何かあったときには出社できることが条件である旨述べており、Xが出社したのが一度だけであり、これにY社も異論を述べてこなかったことなどを踏まえて、就業場所はXの自宅とし、Y社は業務上の必要がある場合に限って、Y社事務所への出勤を求めることができると判断しました。
業務上の必要があったかについては、①本件やりとりの中には業務に必要不可欠なもの以外のものも含まれており、Y社代表者がこれを不快に感じた点は理解できるものの、これにより業務に支障が生じたとは認められないこと、②労働者が申告する時間と実労働時間に差異があったとまでは認められないこと、③本件出社命令は、本件やりとりをめぐってXとY社代表者がお互いを非難しあう中で本件懲戒処分とともに発したものであることからすると、業務上の必要性があったとは認められず、本件出社命令は無効であると判断しました。その結果、Xが労務を提供しなかったのは、Y社の「責めに帰すべき事由(民法536条2項)」によるものであるから、Y社に対し、約45万円(XがY社を退職した令和3年4月4日までの未払賃金等)を支払うよう命じました。
② Xの実労働時間
Xは、使用者の面前で指揮監督を受けることなく、勤務を行っていたこと、自宅で就業時間について一定の裁量をもって勤務を行っていた(例えば、保育園への送迎時間が必要であると申し出たところ8時間の勤務時間が確保できていれば構わないとされていた)ことからすると、工数実績表のみでは労働時間の立証として不十分であると判断しました。
他方で、Xの職種はデザイナーであり、デザイン業務を行う上ではパソコンで作業しないこともあることからすると、Xが申告する勤務時間とパソコンの作業、操作の時間が異なるとしても、これを根拠に不就労時間を認定することもできないとしました。また、Y社は、Xから毎月、工数実績表の提出を受け、さらには本件ツールによるログの確認をすることができた中で、実際にXの不就労時間を問題にすることなく賃金を支払っていることからすると、仮にXが勤務していない時間があったとしても、Y社は賃金規程に基づく賃金の控除をすることを放棄したとみるべきであって、現時点において賃金規程に基づき、当該時間に相当する賃金の返還を請求することはできないと判断し、Xの請求及びY社の請求のいずれについても認めませんでした。
Ⅳ 本事例からみる実務における留意事項
使用者には会社の業務全般について、従業員に指示・命令を行う業務命令権が認められていますが、雇用(労働)契約書や労働条件通知書に就業の場所を「本社」などと記載していたとしても、採用時の説明や入社後の出社がほとんど不要であった状況などから、在宅勤務が原則であるとされた従業員に対して出社を命じることができるのは、業務上の必要がある場合に限定される可能性があることには留意すべきでしょう。
また、本事例では使用者が従業員の不就労を問題にすることなく賃金を支払っていたことから、賃金の控除を放棄したとみるべきと判断しています。そのため、在宅勤務の制度を運用するに際して、使用者が従業員の不就労であることが明らかな事情を把握した場合において、パソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を確認・精査したうえで、従業員の不就労の事実が認められるときには、適時に賃金を控除しなければ、賃金の控除を放棄したとみられることがありえ、保育園への送迎などによる中抜け時間の取り扱いについてもあらかじめ明確に制度化しておく必要があることなどにも留意すべきと考えられます。
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