
監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
固定残業代(固定割増賃金)は、いわゆる「みなし残業代」として多くの企業で広く導入されている制度です。
その理由は、予め想定される残業代を固定額で支払えば足り、残業代について個別に残業代を計算し支払う必要がなく、企業側にとってメリットが大きいからだと考えられます。
しかし、そのメリットを享受するためには、雇用契約書や就業規則に「固定残業代あり」と記載するだけでは足りません。
本稿では、固定残業代制度を適法に活用するための要件についてお伝えしていきます。
目次
固定残業代制が有効になる要件とは
固定残業代制度が有効になるための要件としては、次の3つを満たす必要があるといわれています。
- 明確区分性
- 対価性
- 差額支払の規定と実態
※なお、前提として、上述した雇用契約書や就業規則上の「固定残業代あり」という旨の記載、つまり固定残業代制度を導入することについて労使間での合意があることも要件となります。
明確区分性
「明確区分性」とは、固定残業代を導入した場合に、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に相当する部分とが明確に区分されていることをいいます。 明確区分性の有無について、給与の記載例でみてみましょう。
✖ 明確区分性の要件を満たしていない例
「基本給30万円(固定残業代含む)」
○ 明確区分性の要件を満たす例
「基本給27万円、固定残業代3万円(●時間分)」
このように明確区分性の要件を満たすためには、基本給等と固定残業代とを明確に費目を分けて記載する必要があります。
なぜなら、基本給との区別が明確でないと、何時間分の残業に対して固定残業代が支払われているかが分からないからです。
対価性
対価性とは、固定残業代が時間外労働に対する対価として支払われているかということです。
対価性の有無については、以下の事情等をもとに総合的に判断されます。
- 雇用契約書や就業規則等において固定残業代が時間外労働の対価として支払われることが明示されている
- 給与明細に固定残業代として明記され、従業員に対しても労働条件通知書を手渡す際に、固定残業代であることを十分説明している 等
なお、名目上、「固定残業代」や「みなし残業手当」として支給していたとしても、他の賃金算定と併せて検討したときに、固定残業代に対応する労働時間数があまりに多いなど、実態として時間外労働の対価といえなければ、法定の残業代支払いがなされているとはいえません。
差額支払の規定と実態
労働基準法では、残業時間数に応じて一定の割増率を掛けた残業代を支払うことが求められています。同法上支払わなければならない金額を超えて固定残業代を支払う分には同法に反するものではありません。しかし、固定残業代が同法上支払わなければならない金額を下回ってしまう場合は、同法に反する可能性があります。
そこで固定残業代が想定する残業時間以上の残業が発生した場合は、労働基準法上支払わなければならない残業代と固定残業代との差額を支払う旨を就業規則等に記載し、そのうえで、実際に当該差額の支払いを行い、同法上支払うべき残業代を下回らないようにする必要があります。
固定残業代が無効と判断された場合のリスク
固定残業代は想定される一定の残業代を予め固定額で支払うものですが、固定残業代として必要な要件を満たさない場合、これまで固定残業代により支払済みとして扱ってきた残業代が支払われていないこととなり、過去の残業代を改めて支払わなければなりません。
さらに、固定残業代としての要件を満たさない場合、固定残業代として支払っていた金額は残業の有無に関わらず支払われるべき基本給として扱われます。その結果、残業代計算の基礎となる基本給の金額が(固定残業代として支払っていた金額分)増額され、企業が想定していた残業代よりも多額の残業代を支払わなければならなくなります。
このように、固定残業代が要件を満たさず無効と判断された場合のリスクは非常に大きいことから、その要件の充足を慎重に検討する必要があります。
割増賃金の有効性に関する最高裁判決【国際自動車事件】
近時の固定残業代に関する重要判例として、国際自動車事件(平成30年(受)908号 最高裁第一小法廷 令和2年3月30日判決)があります。
同事件は、歩合給の算出における残業手当等の扱いとの絡みで、残業代の対価性が問題となった事件です。
【事件の概要】
国際自動車事件は、タクシー乗務員の歩合給の算定において、売上高から会社の取り分や経費のみならず、乗務員に支払われる残業手当等の金額が差し引かれていたことから、乗務員が会社に対して、差し引かれた残業手当等の支払いを求めて提訴した事件です。
【裁判所の判断】
最高裁判所は、歩合給の計算において、売上高から会社の取り分や経費を差し引く(ここまでは一般的な歩合給として問題ない。)だけでなく、乗務員の残業手当等として支払っている金額までも差し引くことは、その残業手当等を乗務員に負担させているに等しく、当該残業手当等は、その全てが時間外労働への対価として支払われているとは言えない旨判断しました。
【ポイント・解説】
本件では、会社から乗務員に対して「残業手当」等の名目で、労働基準法上の割増率(1.25倍等)算定方法であっても、別に支給される歩合給の計算の中で残業手当等相当額が差し引かれている点が重視され、実質的には時間外労働の対価として支払われていないという判断がされました。
なお、本件の制度上、時間外労働が多く、その分残業手当等が売上高を超えた場合には、歩合給が0円として扱われることがある点にも着目されたと考えられます。
最高裁判決が固定残業代の有効性に与える影響
本件は、いわゆる固定残業代の有効性が問われた事件ではありません。
しかし、残業時間に応じて支払われる残業手当等であっても、固定残業代であっても、それが時間外労働の対価として支払われるものである必要がある点に変わりはありません。
本判決により、歩合給の計算の中で残業代を差し引くことは、時間外労働への対価としての性質を欠くことになるということが明らかにされました。
本判決を踏まえると、固定残業代は独立して算出、支給するだけでなく、さらに、その支給の分を他の要素で労働者に負担させないように注意する必要があると考えられます。
企業に求められる対応と実務上の注意点
固定残業代制度は企業にとってメリットのある制度ですが、固定残業代が無効であると判断されないために固定残業代としての要件を満たすように制度設計及び運用をする必要があります。
給与規程(賃金規程)の見直し
固定残業代の要件を満たすためには、固定残業代制度を給与規程ないし就業規則上、基本給との明確な区分や、労働基準法上支払わなければならない残業代の金額が固定残業代の金額を上回った場合の差額の支払について記載をするなど、形式面の整備が必要となります。
固定残業代の有効性について、最初から賃金体系の実態を含め、判例も踏まえながら総合的に検討することは難しいため、まずは形式面を整えることから着手することをお勧めします。
就業規則における固定残業代の記載方法
固定残業代を導入する場合、就業規則には次の3項目を記載する必要があります。
① 固定残業代制度を採用する旨
固定残業代の定めに、最低限、(1)実残業代が固定残業代に満たない場合でも固定残業代を支払う旨、および、(2)実残業代が固定残業代を超過した場合には差額を支払う旨が定められていることが必要です。
② 固定残業代の対象となる残業の種類
固定残業代がどの残業を対象とするのかを予め特定しておきます。
③ 固定残業代の金額または時間
具体的な金額は基本給等によって異なるため、通常は就業規則には記載しません。
固定残業時間を統一する場合は、「時間外労働30時間分」のように記載します。
最低賃金法の遵守
固定残業代制度について見落としがちなのが最低賃金法です。
【固定残業代】を、【固定残業時間×1.25】で割った金額が、各地域の最低賃金を下回っている場合、固定残業代として適正な金額ではないとして、その有効性に疑義が生じることがあります。
最低賃金は年々増額されているため、定期的に固定残業代が最低賃金を下回らないか確認をする必要があります。
労働条件の不利益変更
固定残業代制度を導入・改訂することにより、実質的に支給される賃金が下がる場合には、労働条件の不利益変更が問題となります。
労働条件の不利益変更については、労働者側の同意を得るか、同意を得られない場合は労働条件の変更に合理性があり、変更後の就業規則を周知するといった条件を満たす必要があります(労契法第8条~10条)。
ただし、個々の事案ごとに、同意の取得方法や合理性の判断も異なるため、詳しくは労務問題に詳しい弁護士への相談をお勧めします。
労働条件を不利益に変更する際の対応方法などについては以下のページをご覧ください
固定残業代の有効性についてよくある質問
固定残業代が違法となるのはどのようなケースですか?
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固定残業代が違法となるケースとして、大きく分けて以下の5つのケースがあります。
- ①就業規則や雇用契約書に明示されていない
- ②固定残業代の金額が明確でない
- ③固定残業代を除いた基本給が最低賃金を下回っている
- ④固定残業時間が月45時間を上回っている
- ⑤規定時間を超えた分の残業代を支払っていない
固定残業代が違法となるケースについて、より詳しくは以下のページをご覧ください。
明確区分性の要件を満たしていないと、固定残業代制はただちに無効となりますか?
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固定残業代の有効要件に「明確区分性」があることは判例学説上も争いがないと解されており、明確区分性の要件を満たしていない場合に、固定残業代制が無効となる可能性は高いです。
ただし、実務上、就業規則(給与規程)で、どの程度明確に定められていたら固定残業代制が有効になるかについては、具体的な事案により判断が異なる場合もあります。固定残業代制の導入や運用に関しては、弁護士など専門家の助言を受けることが重要です。
給与明細においても、固定残業代の金額と残業時間を明記する必要がありますか?
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固定残業代の有効性との関係では、給与明細へ残業時間まで明記する必要はありません。
ただし、基本給と分けて支給していることとの矛盾が生じないように、固定残業代の費目と金額は基本給等と分けて記載することが望ましいでしょう。
「基本給に固定残業が含まれている」という主張は有効ですか?
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基本給の中に固定残業代を含む、いわゆる組込型の固定残業代も認められていますが、組み込まれた固定残業代が、何時間分の残業に相当するものなのかを記載する等、明確区分性の要件を満たす必要がある点には注意が必要です。
固定残業代制に関するお悩みは、実績豊富な弁護士法人ALGにご相談下さい
固定残業代制度は、多くの企業で広く採用されていますが、その有効性が否定されたときには、想定以上の残業代の支払いが必要になる等、非常に大きなリスクを負うこととなります。
企業の実態に合った固定残業代が設定されているか、判例上求められる固定残業代の要件を満たしているかは、難しい判断を求められることになるため、固定残業代の有効性が問題となった事案を処理した経験を持つ弁護士への相談をご検討ください。
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執筆弁護士
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所弁護士中村 和茂(東京弁護士会)
この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある