監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
少子高齢化によって、日本の労働力不足は深刻化しています。そんな中、今いる人財の離職を防ぐための取り組み(人財定着)の重要性が高まっています。
人財定着を実現できれば、労働力の確保以外にもさまざまなメリットがあるため、事業主は積極的に取り組むことが求められます。
本記事では、人財定着の現状や課題、従業員の離職を招く要因、人財定着のための手法(リテンション・マネジメント)などについて、わかりやすく解説します。
目次
企業経営に必要な「人財定着」
人財定着(リテンション)とは、従業員の離職を防ぎ、自社で長く働いてもらうための取り組みのことです。具体的には、以下の3点を目的としています。
- 優秀な人財の確保
- 離職者の減少
- 安定した雇用関係の維持
人財定着により、企業は競争力アップや経営安定などの効果が期待できます。例えば、ベテランの従業員は知識やノウハウを多く習得しているため、多彩な視点から事業を支えることができます。
また、会社との信頼関係も強いので、安心して指揮を任せられるのもメリットです。
さらに、人財が安定すれば採用コストが抑えられるため、長期の資金計画も立てやすくなるでしょう。
人財定着の現状
人財定着の現状は、「人財定着率」によって把握できます。
人財定着率とは、「入社から一定期間経過後に働き続けている従業員の割合」のことです。
〈例〉4月に30人の新入社員が入社し、翌年の4月には24人が残ったケース
→(24人÷30人)×100=80%
上記の例では、1年間の人財定着率は80%(離職率は20%)となります。
厚生労働省の「令和5年 雇用動向調査」によると、日本の1年間の人財定着率は約85%(離職率は約15%)となっています。
ただし、雇用契約や業種によって結果が大きく異なり、特に「宿泊業」や「飲食サービス業」における人財定着率が低い傾向にあります。また、一般労働者よりもパートタイム労働者の方が定着率は低く、離職者が多いことがわかります。
人財定着が重要視される背景
人財定着が重要視される背景には、「人手不足」と「価値観の多様化」という2つの問題があります。
人手不足
少子高齢化により、日本の企業では人手不足が深刻化しています。推計によると、2050年の生産年齢人口は5,275万人と、2021年よりも30%近く減少する見込みとなっています。
新たな労働力を確保しづらい以上、企業にとっては、今いる従業員の定着を図ることが現実的な対策といえるでしょう。
価値観の多様化
労働者の価値観は年々変化しており、近年は転職のハードルも大きく下がっています。
転職希望者は、「給料が低い」「人間関係が悪い」など企業に不満を抱いているケースが多いため、事業者は労働環境の改善を図るなど、従業員エンゲージメントを高める施策が求められます。
人手不足を助長する離職者の増加と企業への影響
採用をしても人が定着せず、離職者が増えると慢性的な人手不足につながります。しかし、企業への影響は、単なる短期的な人手不足にとどまりません。中長期的な視点で見れば、人手不足が継続すると基幹的な人財を育成できず、経営に大きな打撃を与える可能性もあります。
以前は「入社3年はその会社で頑張る」という風潮がありましたが、近年では3ヶ月未満での離職者も増えています。離職者が増加するということは、新しい従業員の採用や教育コストが積み上がっていくことにつながります。
また、離職した従業員の仕事は残った従業員が負担しなければならないため、長時間労働や過労のリスクも高まります。
このように、離職者の増加は企業の人事面や財務面など多方面に影響を及ぼすため、人財定着への取り組みは重要といえます。
従業員が離職する際の流れや注意点については、以下のページで解説しています。
企業に人財が定着しない主な原因
人財が定着しない原因としては、以下のようなものが挙げられます。
- 労働環境が悪い
- 本来の業務以外の負担が大きい
- 風通しが悪い
- 適切に評価されない
これらは企業側の問題なので、是正することで効率よく人財定着率をアップできる可能性があります。
労働環境が悪い
労働環境が悪いと、企業に不満を抱く従業員が増え、離職者の増加を招きます。例えば、以下のような企業は注意が必要です。
- 長時間労働や休日出勤が慢性化している
- 教育や研修をせずに仕事を任せる
- 1人1人の業務量が膨大
また、近年は「ワークライフバランスの欠如」も離職率を高める原因とされています。
例えば、「有給休暇が取得しづらい」「福利厚生が少ない」「子育てへの理解がない」といった企業は、従業員エンゲージメントを高めるのは難しいでしょう。
本来の業務以外の負担が大きい
離職者が増えると、その分の仕事は残った従業員が負担しなければなりません。その結果、本来の担当業務以外の仕事が増え、長時間労働や休日出勤を招く一因となります。
また、慣れない業務を任されることでモチベーションが下がり、ストレスを抱える従業員も少なくないでしょう。
このように、離職者が増えると、残った従業員の負担が増え、不満が高まりやすくなります。その結果、さらに離職者が増えるという悪循環に陥る可能性があります。
風通しが悪い
風通しの悪い企業は、離職率が高い傾向にあります。例えば、以下のようなケースが考えられます。
- 部下の意見を一切聞かない
- 上司の威圧的な態度が常態化している
- 人間関係や仕事に関する悩み事を相談しづらい
- 社員間のコミュニケーションがほぼない
このような状況だと、仕事のモチベーションが上がらず、企業への愛着も湧きにくいでしょう。
また、社員間のコミュニケーションが少ないと、不満や悩みのはけ口がなく、ストレスを抱え込む原因にもなります。
適切に評価されない
仕事に対して適正な評価がなされないと、従業員のモチベーションは大きく下がります。
例えば、「成果を上げても昇給・昇進しない」「年功序列のため個人の成績が反映されない」といった状況では、従業員の勤労意欲を維持するのは難しいでしょう。より公正な評価を求め、他社への転職を検討するのが自然といえます。
また、評価結果を提示する際は「フィードバック」もしっかり行うことが重要です。改善点などが明確になれば、「次はより高い評価を目指そう」と仕事への意欲がアップすると期待できます。
人財定着を目指す「リテンション・マネジメント」とは?
リテンション・マネジメントとは、優秀な人財が長期的に組織で能力を発揮するための管理施策をいいます。
優秀な人財、または今後が期待される人財という点で、従来は若手の従業員が主な対象とされてきました。しかし、近年では人手不足の影響もあり、対象となる従業員は若手にとどまらず経験を見込んだ中途採用者やそれ以外の非正規社員にも拡大されています。
企業がリテンション・マネジメントを行うメリット
リテンション・マネジメントを行うことで、企業には以下のようなメリットがあります。
- 採用や教育コストの削減
- 従業員エンゲージメントの向上
- 業務効率や生産性の向上
- 社内ナレッジの蓄積
- 競争力の強化
- 経営の安定化
ただし、リテンション・マネジメントの効果はすぐに現れるものではありません。例えば、公正な人事評価制度を導入したとしても、すぐに人財定着率がアップするとは考えにくいです。
そのため、事業者は中長期的な視点で施策に取り組むことが重要です。
また、リテンション・マネジメントの実施にはある程度のコストがかかるため、自社の状況に適した施策を選定して取り組むことも大切です。
リテンション・マネジメントの具体的な取り組み
厚生労働省の「令和5年若年者雇用実態調査」では、企業が人財定着のために実施している対策が公表されています。中でも多いのは、以下に関する施策です。
- 職場での意思疎通の向上
- 採用前の詳細な説明・情報提供
- 本人の能力・適正にあった配置
- 労働時間の短縮・有給休暇の積極的な取得奨励
- 教育訓練の実施・援助
ただし、すべて実施すると膨大な時間とコストがかかるため、自社にとって効果的な施策を検討することが重要です。また、企業法務に詳しい専門家にアドバイスをもらうのもおすすめです。
さらに具体的な取り組みとしては、以下のようなものが考えられます。
EAP(従業員支援プログラム)の導入
EAPとは、従業員の業務パフォーマンスやモチベーション向上を目的とした専門サービスをいいます。厚生労働省の指針には、メンタルヘルスでは以下の「4つのケア」が重要とされています。
- ① 従業員自らが行う「セルフケア」
- ② 管理監督者が行う「ラインによるケア」
- ③ 事業場内産業保健スタッフ等によるケア
- ④ 事業場外資源によるケア
EAPは、「④事業場外資源によるケア」に該当します。ストレスや過重労働、ハラスメント問題等によって影響を受けている従業員に対し、外部の専門機関が援助を行うものです。
EAPのサービスは、個別カウンセリングやストレスチェックの実施、人事担当者へのアドバイス、社員教育など多岐にわたります。各団体によってそれぞれ得意分野や特徴が異なるため、自社のニーズや利用目的を明確にした上で利用先を検討しましょう。
EAPを導入するメリットについては、下記ページにて解説しています。
仕事と生活の調和がとれた働き方を実現
ワーク・ライフ・バランスという概念は広く浸透していますが、バランスは個々の従業員によって異なります。子育てや介護の時間が必要な従業員もいれば、キャリア構築のため仕事に専念したい人もいるでしょう。
仕事と生活を両立させるためには、従業員がライフステージに合わせて働ける体制も重要なポイントとなってきます。少なくとも育児・介護の制度整備や有給休暇取得が法定以下の内容となっていないか、労働時間の管理体制が適切に運用されているかなどは確認しておくべきでしょう。
その上で、従業員のニーズに合った柔軟な働き方を実現できれば、安心して働ける従業員が増え、人財定着率のアップにつながるでしょう。
「法律に違反していないか不安がある」という方は、一度弁護士など専門家のチェックを受けることをおすすめします。法定の制度の詳細は、それぞれ以下のページで解説しています。
入社後のミスマッチを防ぐ採用時の対策
従業員の離職を防ぐには、入社後のミスマッチを予防することが重要です。
例えば、求人票で残業時間を実態よりも短く記載した場合や、休日出勤があるのにその旨を記載しなかった場合、せっかく採用しても早期離職のリスクが高まります。
また、求める人物像や業務内容があいまいだと、イメージと実態にギャップが生まれ、従業員のモチベーションを下げるおそれがあります。
よって、求人情報はごまかさず、マイナスイメージの部分も正直に記載することが重要です。
それによって応募者が減少する可能性はありますが、実態を理解したうえで入社してもらえれば、結果的に定着率のアップ(離職率の低下)につながると考えられます。
採用手続きや雇い入れ時の注意点は、以下のページで解説しています。
キャリアアップ・スキル向上の支援
人的資本経営の高まりとともに、「リスキリング」を促進する企業も増えています。
新たな知識やスキルの習得を後押しできる環境は、キャリアアップを考える従業員にとって魅力的です。そのため、意欲の高い人財を獲得するためにも有効な施策といえます。
例えば、社内で教育の機会を設けるほか、通信教育の費用負担や、受験直前の特別休暇の付与なども支援となります。副業・兼業を認める体制も、従業員のキャリアアップやスキル向上につながる施策です。
人財定着率を向上させるには、「働きやすさ」だけでなく「成長」を感じられる職場作りも重要です。
法定の制度を整えるだけでなく、従業員のキャリアアップ支援も充実させることで、人財定着の効果がより高まると期待できます。
福利厚生の充実
リテンション・マネジメントに効果的な福利厚生としては、以下のようなものが挙げられます。
- テレワーク・在宅勤務の導入
- リフレッシュ休暇
- カフェテリアプラン
- 資格取得補助・手当
- スポーツジム利用など健康増進支援
- 子育て支援
これらは法律で規定されるものではなく、企業が独自の取り組みとして行うものです。導入には多額のコストがかかるため、自社の課題や従業員のニーズを踏まえて適切な施策を検討することが重要です。
例えば、従業員にアンケートを行い、結果を踏まえて施策を決定することで、従業員の働きがいを高め、離職防止にも寄与します。
また、福利厚生は求職者へのアピールポイントにもなるため、活用した従業員の声を集めてホームページに記載するなど、導入後も工夫すると良いでしょう。
メンタルヘルス対策の推進
心身に不調があると、安定して長く働いてもらうのは難しいでしょう。
近年はうつ病などの精神疾患により休職・離職する従業員も増加しているため、メンタルヘルス対策の重要性は一層高まりつつあります。
リテンション・マネジメントに効果的なメンタルヘルス対策は、例えば以下のようなものです。
- 健康診断やストレスチェックの実施
- 健診結果に基づく措置(業務分担の見直し、配置転換など)
- 医師によるカウンセリング
- メンタルヘルスに関する相談窓口の設置
- 有給休暇やリフレッシュ休暇の取得促進
また、日頃から社員間のコミュニケーションを促進することも重要です。会話は不安や悩みのはけ口にもなるため、自然とストレス軽減につながる可能性があります。
メンタルヘルスケアについては、以下のページもご覧ください。
また、メンタルヘルス対策を怠った場合のリスクは以下のページで紹介しています。
人財定着に関するQ&A
ストレスチェックの実施は、人財定着に繋がりますか?
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ストレスチェックを実施するだけでは、人財定着の対策としては不十分です。
ストレスチェックの主な目的は「従業員にセルフケアを促すこと」ですが、検査結果を踏まえ、職場環境の改善に活かすことも重要な意義とされています。
そのため、検査結果次第では、業務量の調整や労働時間の短縮、人員配置の変更など人事上の措置も検討しなければなりません。ただし、ストレスチェックの結果の把握には従業員本人の同意が必要なので、集団分析のデータを参考にするのが一般的です。
例えば、特定の部署に高ストレス者が集中している場合、当該部署に何らかのストレス要因が隠れている可能性が高いため、調査のうえストレス要因の特定・除去に取り組む必要があります。ストレスチェックの詳細は、以下のページで解説しています。
キャリアパス制度の導入は、従業員の離職防止に繋がりますか?
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キャリアパス制度が導入されていると、自身のキャリアプランを描きやすく、働きがいのある職場となります。特に成長実感を求める従業員にとって、今後のキャリアの見通しが立つとモチベーションアップにつながります。
そのため、キャリアパス制度は意欲のある人財にこそ効果的な離職防止措置といえるでしょう。また、キャリアパス制度により、企業が求めるスキルや人財像を明確化することが可能です。企業の方針を全体で共有することで、以下のような効果も期待できます。
- 人事評価の基準が明確になり、公正な評価につながる
- どんなスキルや経験が不足しているのか、具体的にフィードバックできる
- 内定者について、入社後の役職や等級決定が容易になる
キャリアパス制度の導入には労力が必要ですが、従業員のモチベーション向上や優秀な人財確保といったメリットが期待できるため、前向きに検討すると良いでしょう。
ハラスメントによる離職を防止するために、企業はどのような措置を講じるべきでしょうか?
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企業がハラスメント防止措置を講じることは、法律によって義務付けられています。
そのため、日常的に以下のような対策を講じることが求められます。- ハラスメント防止の方針を社内で周知する
- ハラスメントに該当する言動を例示する
- ハラスメント相談窓口の設置
- ハラスメントに関する研修や教育の実施
- ハラスメント行為者を懲戒処分の対象とする
研修や教育では、「指導」と「ハラスメント」の区別について明確に示すとわかりやすいでしょう。
また、コミュニケーション不足もハラスメントが発生する一因とされているため、社員間の交流の機会を設け、相互理解を深めることも効果的です。それぞれの対策の具体的な手順、ハラスメントが発生した場合の対応は以下のページをご覧ください。
従業員の離職防止として、上司と部下のコミュニケーションを活性化するために有効な方法を教えて下さい。
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コミュニケーションを活性化させる方法としては、以下のようなものが有効です。
- 1on1ミーティングの実施
上司と部下が1対1で行う定期的な面談のことです。業務の進捗状況を確認したり、現在の課題やキャリア展望を把握したりするのに役立ちます。また、1対1であれば職場での悩みや不安も伝えやすいため、メンタルヘルス対策としても有効です。 - 部署間コミュニケーションの活発化
交流の幅が広がることで、社員間の信頼が深まり、愛着や帰属意識が高まる効果が期待できます。例えば、社内部活動を充実させたり、SNSによる交流の機会を設けたりする方法があります。 - 雑談の時間を設ける
適度な会話は、ストレス発散のために効果的です。例えば、毎日〇時~10分雑談の時間を作るなどルーティン化するのも良いでしょう。
- 1on1ミーティングの実施
人財定着を向上する上で必要な取り組みについて、経験豊富な弁護士がアドバイスさせて頂きます。
人財を定着させるためには、就業環境を健全に保つことが大切です。まずは、労務管理や制度整備について確認した上で、定着率向上に向けた社内ニーズの把握を行いましょう。
しかし、新たに導入したマネジメント施策も不備があればうまく機能しなくなってしまいます。導入した施策をうまく活用するには、第三者からのアドバイスも有効です。
リテンション・マネジメントの取り組みに疑問があれば、弁護士へご相談ください。弁護士は法律に則った制度導入をサポートできるだけでなく、自社独自の取組内容についてのリーガルチェックを行うこともできます。
企業の様々な人事・労務問題は弁護士へ
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執筆弁護士

- 弁護士法人ALG&Associates
この記事の監修

- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある
