監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
従業員にお金を貸す際、労務管理としてはどのように対応するべきでしょうか。
「この従業員は頑張っているからお金を貸してあげたい」という思いから、給料の前貸しをするケースもあるかもしれません。
ただ、給料の「前貸し」はその後の「給料の天引き」とセットで行われるのが通常ですが、特段の考慮なく給与の天引きを行うと、労働基準法違反となる可能性があります。したがって、従業員に対して貸付を行う場合、労基法上の貸付金の回収に関する規定や実務上の考え方を理解する必要があります。
そこで、今回は、従業員貸付と貸付金を給料(賃金)から天引きする際のポイントについて解説していきます。
目次
従業員が会社からお金を借りる「従業員貸付制度」とは
従業員貸付制度とは、使用者が従業員に対してお金を貸し付ける制度のことです。会社の福利厚生の一環として導入されていることがあります。また、従業員貸付制度を設けていることをアピールポイントにしている会社もあるようです。
自分の勤務先が従業員貸付制度を採用しているかどうかは、人事・労務の担当課に問い合わせることで確認できるでしょう。
「従業員貸付制度」と「前借り」の違い
従業員貸付制度と似たものに、給料の「前借り」があります。この2つは、従業員が使用者から金銭の貸付を受けるという意味では同じです。
しかし、給与の「前借り」は、従業員に貸し付けた金員を使用者が後の給与から一方的に天引き(相殺)することが前提であり、この行為は労基法違反となります。
これに対し、「従業員貸付制度」では、給与の天引き以外にも回収方法を定めることができるため、同法違反にはあたらないと考えられます。
従業員貸付はどのような時に利用されるのか?
従業員貸付制度は会社の福利厚生の一環であり、その内容については会社に広い裁量が認められています。そのため、従業員貸付の利用条件は会社によって千差万別といえるでしょう。
たとえば、ある資格を保有する従業員や留学経験のある従業員が増えることで会社の業績向上が見込めるのであれば、当該資格の取得費用や留学費用を貸付の対象とすることが考えられます。
一方、貸付の対象を慶弔費や医療費、罹災時など緊急性を要する出費に限定する会社や、特に利用目的を限定せず、生活費などに充てるために貸付を行う会社もあるでしょう。
従業員貸付制度を導入するメリット
従業員貸付制度のメリットは、従業員が金融機関から融資を受けるよりも低金利でお金を借りられる点にあります。
また、会社にとっても、制度の存在自体が労働市場におけるアピールポイントとなります。特に、中小企業は従業員貸付制度を設けていないことも多いため、大きなアピールポイントとなるでしょう。
さらに、従業員のニーズに合わせた制度設計ができれば、従業員満足度の向上にもつながります。例えば、従業員の士気の向上やスキルアップ、離職率の低下等の効果が期待できます。
貸付金を従業員の賃金から天引きするのは違法?
賃金貸付制度を導入する場合、「貸し倒れ」とならないよう注意が必要です。もっとも、そのためには「賃金から天引きすれば良い」とも考えられますが、法律上、賃金はその全額を支払わなければならないと定められています(労基法24条1項本文)。よって、貸付金を賃金から天引き(相殺)することが直ちに認められるわけではありません。
なお、労基法17条では、「前借金」と「賃金」の相殺が禁止されていますが、「貸付金」を賃金から天引きすることもこれに該当する可能性が高いです。
賃金の支払方法にはルールがあり、適切な対応をとらないと労基法違反にあたるため注意が必要です。詳しくは以下のページをご覧ください。
例外的に賃金から天引きできるケース
まず、法令に別段の定めのある場合、従業員の賃金から天引きすることが認められています。具体的には、所得税、住民税、社会保険料の本人負担分控除などは賃金から天引きすることができます(労基法24条1項ただし書き)
また、以下のケースでも、例外的に賃金からの天引きが認められています。
- ①労使協定が締結されている場合
- ②従業員の自由意思による合意がある場合
それぞれ詳しくみていきましょう。
①労使協定が締結されている場合
過半数労働者で組織される労働組合または労働者の過半数代表者との書面による合意(労使協定)が締結されている場合、例外的に賃金からの天引きが認められています(労基法第24条1項ただし書き)。
具体的には、労使間で「控除項目」を定め、それらが賃金から天引きされる旨を明示した書面を取り交わす必要があります。控除項目の例は、以下のようなものです。
- 物品等の購入代金
- 福利厚生施設(社宅等)の利用料
- 親睦会費
- 従業員への貸付金の返済金
なお、この協定(「24協定」ともいわれます。)は、36協定と異なり労働基準監督署に届け出る必要はありません。
②従業員の自由意思による合意がある場合
労使協定が締結されていなくても、労働者が「その自由な意思」に基づいて相殺(賃金からの天引き)に同意した場合は、賃金からの天引きが認められる可能性があります。
実際の判例でも、その「同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」は、貸付金額の相殺は賃金全額払いの原則に違反するものではないとされています(最高裁 平成2年11月26日第二小法廷判決、日新製鋼事件)。
従業員貸付を賃金から天引きする際の注意点
賃金からの天引きが認められるのは、使用者による一方的な相殺ではなく、当事者の合意、すなわち“相殺合意(相殺契約)”に基づく相殺であることに注意が必要です。
また、最高裁によれば、この相殺合意が認められるかどうかは「厳格かつ慎重」に判断するとされています。よって、会社が執拗に合意を求めたようなケースでは、実質的な強要にあたるとして、「労働者の自由意思による合意」と評価されない可能性がありますのでご注意ください。
天引きする金額には上限がある
賃金からの天引きが認められる場合でも、天引きできる金額は賃金の4分の1が上限となります。
これは、賃金の4分の3(その額が33万円を超える場合は33万円)に相当する部分が「差押禁止債権」にあたるためです(民事執行法152条)。
また、差押禁止債権を受働債権とする相殺は禁止されているため、賃金から天引きすることはできません(民法510条)。
就業規則の規定が必要
上記でご紹介した最高裁判決の趣旨からすれば、「労働者の自由意思による合意」を使用者が立証できる場合には、24協定(労使協定)が締結されておらず、また就業規則に規定がなくても、賃金からの天引きが認められると考えられます。
しかし、24協定が締結されている場合と比べると、相殺合意では要件が加重され、かつ、その判断は裁判所により「厳格かつ慎重に」なされるため、裁判となった場合には相殺が認められないリスクが高くなります。
したがって、予防法務上の要請から、24協定を締結したうえで、個別の合意又は就業規則の規定によって、賃金からの天引きができる旨を労働契約の内容とすることが基本的な対処方法となります。
全額払いの原則に違反すると罰則がある
賃金全額払いの原則に違反した場合、使用者は、30万円以下の罰金を科される場合があります(労基法120条1号)。
賃金債権の合意による相殺が認められた裁判例
「賃金債権の合意による相殺」が認められたリーディングケースとなる判例をご紹介します。
事件の概要
会社から借入れを行った従業員Xが、その会社を退職する際、借入金の残債務を退職金や給与等によって返済する手続きを執るよう会社に依頼しました。そして、会社は返済処理を行い、残金を従業員に支払いました。
ところが、当該従業員は破産宣告を受け、破産管財人が選任されました。そして、破産管財人は、従業員の意思表示が完全な自由意思に基づくものではなく、賃金全額払いの原則に違反するとして、会社に対し、退職金や給与等について全額の支払いを求めました。
裁判所の判断
裁判所は、労基法24条1項における賃金全額払いの原則の意義について、以下のように判示しました。
- 使用者が一方的に賃金を控除することを禁止することで、労働者に賃金の全額を確実に受領させ、その経済活動を脅かすことのないよう保護を図るものである
- 使用者が労働者に対して有する債権を、労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨も含む
- ただし、労働者が相殺(賃金からの天引き)に同意したケースで、その同意が労働者の自由な意思に基づくものだと認められる“合理的な理由”があるときは、賃金全額払いの原則に違反するものではない
もっとも、“合理的な理由”があるかどうかは、特に厳格・慎重に判断すべきとしています。
本件の場合、
- 従業員からの自発的な依頼があったこと
- 書面作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全くうかがえなかったこと
- 従業員が、各清算処理手続き終了後、退職金計算書、給与等の領収書に異議なく署名押印をしていること
- 低利かつ相当長期の分割弁済の約定のもとに従業員が住宅資金として借り入れたものであり、従業員の福利厚生の観点から利子の一部を被上告会社が負担する等の措置が執られるなど、従業員の利益になること
- 従業員においても、借入金の性質及び退職するときには退職金等によりその残債務を一括返済する旨の前記各約定を十分認識していたことがうかがえること
等の事情から、従業員Xはその自由な意思に基づき、相殺について合意しているとして、従業員X(破産管財人)の請求を棄却しました。
ポイント・解説
最高裁は、従業員の同意による相殺について、労働者の「同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」は、労働基準法24条1項における全額払いの原則に反しないと判断しました。
もっとも、最高裁によれば、単に相殺の「合意書」や「同意書」を作成するということだけでは適法とはならず、同意に至った経緯や同意の態様、貸付金の性質、同意することが従業員にメリットがあるかなどの諸般の事情に照らし、「同意が労働者の自由な意思に基づくものである」かどうかが判断されます。
したがって、相殺合意をするときは、合意書などの書面を作成することはもちろん、従業員にメリットを提示する、自発的な申出を促す等の慎重な対応をとるべきといえるでしょう。
従業員貸付を賃金の天引きにより回収したい場合は弁護士にご相談ください。
賃金控除(相殺)が認められない場合でも、労働者に対する貸付債権の存在を立証できれば、使用者は労働者に貸付金の返還請求をすることができます。そのため、賃金控除(相殺)が認められても認められなくても、会社としての収支は変わりませんが、当該貸付金の回収にかかる手間や費用、回収不能リスクといった点で違いが生じることがあります。
したがって、従業員貸付は賃金からの天引きとセットで行うべきですが、賃金からの天引きは慎重に行う必要があります。従業員貸付制度の創設や、天引きの方法による貸付金の回収をお考えの場合は、ぜひ弁護士法人ALGにご相談ください。
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執筆弁護士
- 弁護士法人ALG&Associates 弁護士須合 裕二
この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある