監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
近年、割増賃金をあらかじめ定額として設定して支給するいわゆる「定額残業代」制度をとる例が多く見られ、その適法性が問題となっています。定額残業代(「固定残業代」といわれることもあります。)については、時間外労働に対する割増賃金の固定化が目的である場合が多いですが、「残業代を支払う必要がなく定額でいくらでも働かせることができる賃金」というように誤って理解されているケースもあり、裁判例の中にはその適法性を否定したものも散見します。 ここでは、定額残業代に関する重要判決と時代の変化への対応についてご説明します。
目次
定額残業代制の導入と懸念事項
定額残業代制を導入する場合、以下のような誤った対応が見受けられます。
- 残業代として支払われる趣旨なのかが曖昧(対価性の問題)
- 定額残業代の金額や区分が不明確で、残業代の支払がなされているのかが不明確(明確区分性の問題)
- 労基法37条等で定められた計算方法で計算した額に不足があっても、その不足額が支払われていない(精算の不実施)
- 固定残業代とされている手当額が、あまりにも長すぎる残業時間に対応するものである(公序良俗に反する長時間労働の助長)
例えば、精算の不実施により、「残業代不払いの隠れ蓑」(定額で働かせ放題)として用いられているケースも少なくありません。仮に、違法な定額残業代制と判断された場合には、かえって未払い残業代を増やす結果につながることもあります。
【定額残業代】に関するより詳しい解説は、こちらをご覧ください。
未払い残業代請求における問題点
未払い残業代請求において、定額残業代の有効性が争われる原因として、使用者側が定額残業代と主張する賃金部分が「割増賃金に当たる部分」といえるのか曖昧なケースが多数あります。すなわち、当該賃金部分が、時間外労働等の対価(割増賃金)として支払われたものと明確に区分できるか否かが問題となります。
【割増賃金】について、詳しくはこちらをご覧ください。
定額残業代が無効とみなされた場合のリスク
定額残業代が無効と裁判所に判断された場合には、以下のような大きなリスクがあります。
- 残業代計算のための基礎単価に違いが生じる
- 計算された残業代から、固定残業代の額を控除できるか否かの点で違いが生じる
- 付加金(裁判所が、使用者に対し、一種の制裁として使用者が支払うべき未払金のほか、これと同一額(要するに倍額)の金員の支払を命じることができる制度)の支払を命じられるおそれがある
定額残業代に関する判例
契約社員の時間外手当込み基本給に労基法の割増賃金が含まれるか否かについて、最高裁判所の判断を示した先例として、【最高裁 平成24年3月8日第一小法廷判決】(労判1060号5頁・テックジャパン事件)をご紹介します。
事件の概要
基本給を月額で定めた上で月間総労働時間が一定の時間を超える場合に1時間当たり一定額を別途支払う等の合意がなされていた中で、時間外労働に対する賃金の支払等を請求された事案です。
裁判所の判断
本件の主な争点は、定額残業代の扱いについてです。裁判所は、当該雇用契約における以下の点を踏まえ、「使用者は月間総労働時間が180時間以内の時間外労働に対しても割増賃金を支払う義務を負うものというべきである」と判示しました。
- 基本給は月額41万円である。
- 月間総労働時間が180時間を超えた場合には、その超えた時間につき1時間当たり一定額を別途支払うものとする。
- 月間総労働時間が180時間以内の労働時間中の時間外労働がなされても、基本給自体の金額が増額されることはない。
- 基本給は、“通常の労働時間の賃金に当たる部分”と“労働基準法37条1項の規定する時間外の割増賃金に当たる部分”とを判別することはできない。
【賃金の構成】や【割増賃金】に関して詳しくはこちらも併せてご覧ください。
重要視されていた補足意見とその後の判例の推移
テックジャパン事件の最高裁判決には、補足意見において、以下のような形で、定額残業代の有効性の要素(明確区分性と精算の実施)が整理されていました。
支給時に…時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならない…。さらには10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならない
その後、補足意見の影響を受けて、類似する説示を行った裁判例も出されました【東京地方裁判所 平成24年8月28日判決】(労判1058号5頁・アクティリンク事件)。
しかしながら、その後、【最高裁 平成30年7月19日第一小法廷判決】(労判1186号5頁・日本ケミカル事件)は、これまでの定額残業代の判例が示してきた考え方を整理し、ある手当が時間外労働等の対価といえるか否かは、契約書等の記載内容、使用者の説明の内容、実際の勤務状況等の事情を考慮して判断されるとし、①契約書への記載や使用者の説明等に基づく労働契約上の対価としての位置付け(合意内容及び対価性の要件)、及び、②実際の勤務状況に照らした手当と実態との関連性・近接性(公序良俗に反しない範囲への限定)を考慮する判断枠組みを提示しています。
ポイントと解説
基本給の中にあらかじめ時間外労働の割増賃金を含めていても、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができないとき(明確区分性が認められないとき)は、労基法37条1項の時間外労働の割増賃金が支払われたと扱うことはできないことを明らかにしました。
定額残業代制が有効となるための要件
現在までの裁判例を整理すると、定額残業代制が有効となるためには以下のような要件があると考えられます。
- 定額残業代制をとることが雇用契約書等において合意され、契約の内容となっている(合意内容の要件)
- その合意が、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができる内容となっている(判別可能性または明確区分性の要件)
- 定額残業代とされるものが、時間外労働等に対する対価として支払われるものとされている(対価性の要件)
- 定額残業代が、実際の労働時間で計算した残業代に不足する場合の差額支払の合意やその実施は、必須のものとは解されない。ただし、考慮要素とすることが禁じられるわけではない。)
- 定額残業代がカバーする労働時間が長すぎる場合、定額残業代制の合意は、公序良俗違反等の理由で無効とされることがある。)
④及び⑤については、全ての事件で判断されているわけではありませんが、問題とされている事件もあり、補助的要素ないし例外的に無効となる要素といえます。
こちらも参考になりますので、ぜひご参照ください。
定額残業代制に関するQ&A
「定額残業代」と「みなし残業代」の違いを教えてください。
- みなし残業代制も、割増賃金をあらかじめ定額として設定して支給する制度であり、名称の違いに過ぎないと考えられます。これらの名称を定める際に重要なのは、合意内容の要件や対価性の要件を充足するような定め方が採用されているか否かであるといえます。 こちらも併せてご参照ください。
定額残業代制を導入するメリットを教えてください。
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定額残業代の金額が、実際の労働時間で計算した残業代に不足する場合でない限り、割増賃金としてはその固定額を支払えば足りることになります。そのため、その意味で残業代部分の給与計算の労力が削減という効果があります。
また、定額残業代の金額を上回る残業をしない限り、残業を行っても割増賃金が増えないこととなるため、残業をすることに対するインセンティブが低下し、残業時間抑制に繋がること等が考えられます。
これらのメリット以上に、定額の支給をもって、残業代の支払自体が不要となるといった効果はありません。
定額残業代が有効と判断されるために、就業規則にはどのように定めるべきでしょうか?
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定額残業代が有効と判断されるためには、就業規則(または雇用契約書)において、①定額残業代制を採用する旨を示すこと、②通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができる内容となっていること、③定額残業代とされるものが、時間外労働等に対する対価として支払われるものであることを示すことが最低限必要であると考えられます。
また、定額残業代が実際の労働時間で計算した残業代に不足する場合にその差額を支払う旨を規定し、またそれを実施することも、定額残業代制が有効と判断される方向での考慮要素になると考えられます。
なお、定額残業代とする対象時間が大きすぎる場合、過去の裁判例では、80時間は無効としたものや、厳格なものでは45時間を超えるものを超過部分につき無効と判断した事例があります。
定額残業代制の残業時間の上限について、法律上の規定はありますか?
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定額残業代制自体が労基法上明記された制度ではないため、それに含める残業時間の上限についても法律上の規定があるわけではありません。
しかしながら、定額残業代が想定する時間外労働の時間があまりに長すぎる場合、長時間労働を助長しかねないことから公序良俗に反する等として、そのような手当を時間外労働に対する手当として扱うべきでないとする裁判例(80時間を超える場合や、45時間を超える部分を無効と判断)が複数存在しています。働き方改革法による労基法の改正で、36協定の締結が可能な法定労働時間を延長することができる時間外労働の上限の原則は、月45時間とされたことから、これを超える時間外労働に対する定額残業代の有効性は否定される可能性が強まると予測されます。
より詳しい解説はこちらをご覧ください。
給与明細書で定額残業代の金額を明記することは、残業代の支払として有効となりますか?
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過去の裁判例において、労働契約締結時に明確区分性が確保されていなければ、事後的に作成される給与明細書等で定額残業代の金額を明記しただけでは、残業代の支払いとして有効とはならないと判断されています(京都地方裁判所 平成28年9月30日判決)。
したがって、定額残業代導入時に優先すべきであるのは、採用時の求人広告への記載、労働条件通知書(または雇用契約書)に、定額残業代に関する内容を明記することです。給与明細書等への記載は、有効性を維持するための補助的な要素と考えるのが妥当でしょう。
労務管理は時代の変化へ柔軟に対応する必要があります。定額残業代制に関する労使トラブルを回避するためにも、弁護士に依頼することをお勧めします。
定額残業代制は、法律上の明文規定が存在しているわけではありません。一方で、労働基準法の定めは、最低基準を定めているに過ぎないため、最低基準を超える割増賃金の支給が無効とならないことは自明であるともいえます。
しかしながら、その言葉が独り歩きし、定額残業代制を残業代不払いの隠れ蓑にしたり、定額で働かせ放題となったりする合意といった誤った理解が広まってしまっています。
メリットとして位置づけることができるのは、割増賃金計算の簡便化と残業へのインセンティブ低下による業務効率化といった点であり、これ以上の期待を寄せるのは不適切といえるでしょう。
また、有効に定額残業代制を活用するためには、これまで積み上げられてきた裁判例を踏まえて制度設計をしていくことが重要です。定額残業代に関する重要な裁判例は直近でも複数現れていますので、最新の裁判例にアジャストした定額残業代制度を導入するためにも、一度弁護士へ相談すべき分野といえるでしょう。
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執筆弁護士
- 弁護士法人ALG&Associates
この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある