Ⅰ 事案の概要
被告会社Y1との間で雇用契約を締結していた原告Xが①Y1に対し、Y1から受けた減給措置が無効であることを理由に未払賃金の支払を求めるとともに、②Y1の経営者一族の身内である被告Y2及び執行役員である被告Y3から、一方的な減給をされ、横領及び背任をした旨の確認書の署名押印を迫り、理由のない配転命令をされるという違法な行為を受けたと主張して、被告Y2らに対し、共同不法行為に基づき損害金の連帯支払を求めた事案です。
他方で、Y1は、Xに対し、Y1の経費として費消したのではないにもかかわらず、経費であると申告してY1を欺罔し、金員を騙取したとして、不法行為に基づく損害賠償請求の反訴を提起しています。
Ⅱ 争点
本件事件の争点は、①減給措置の有効性、②Y2らの行為が不法行為になるか、③Y2らの不法行為による損害額、④XがY1の経費を不正取得したか否かでした。
Ⅲ 判決のポイント
1.争点①「減給措置の有効性」
本判決は、減給措置の実施当時、Y1には就業規則が存在していなかったことから、Y1は一方的な減給をすることはできず、Xの賃金を減額するには、Xの合意が必要であり、「当該合意の認定については、合意が労働者の自由な意思に基づいてされたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から検討するのが相当である」との判断枠組を示しました。
そのうえで、この「自由意思」の存否について、①Y3が減給措置を告知する際、「売上をしっかりやったら給与も元に戻す」旨を伝えたところ、Xが「今年よりやったら元に戻すのではなくて、それより上げてもらえますか」と返答していても、かかるXの発言のみをもって、Xが降格・減給に同意したと認めることはできないこと、②当時のY2らの厳しい責任追及の態度に鑑みて、XはY2らに逆らうことができず、その場では特段異議を述べなかったと考えられること、③Xが合意をしたと認めるに足りる客観的証拠(合意書等)はないことを踏まえて、「形式的に合意があったとしても、Xの自由な意思に基づいてされたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとはいえない」として、減給措置を無効と結論付けました。
なお、Yらは、減給措置に際して人事権が適法に行使された旨の主張も展開しましたが、本判決は、以下の理由からYらの主張を退けました。
すなわち①Y1では従業員の売上低下を理由に降格・減給措置が実施されたことはなく、②営業職の成果に応じて不定期に昇給・降格がなされる制度が存在したともいえず、③仮にかかる制度が存在していても、Xの売上減少は商材の取扱いがなくなったことであるからXの責任ではなく、④XはY1から売上低下を指摘されたことはなく、⑤減給措置実施当時のY1全体の売上が徐々に上がっていたので、減給させる経営上の必要性もないことからすれば、減給措置はY1の裁量の範囲内であるとはいえず無効であると結論付けました。
2.争点②「Y2らの行為が不法行為になるか」及び争点③「Y2らの不法行為による損害額」
他の担当者がいるにもかかわらず、Xにとって縁もゆかりもない九州への配転命令は、業務上の必要性が認められず、「Xに精神的・経済的な圧迫を加え、Xを退職に追い込むなどの不当な動機をもってなされたと認められる。したがって、本件配転命令は、人事権の濫用に当たり、無効である」としたうえでY2らによる上記各行為は、「Xに対する一方的な悪感情に基づき、Xに不当に著しい不利益を与えるものであり、これらの一連の行為はXに対する共同不法行為を構成する」と結論付けました。
Y2らの不法行為による損害額は、「適応障害、うつ状態」の診断を受けていたことを踏まえて慰謝料50万円、弁護士費用が5万円と認定されています。
3.争点④「XがY1の経費を不正取得したか否か」
Xが接待交際費の不正取得を自認する旨のメッセージをY2らに送信し、確認書に署名押印しているものの、イタリア出張後、XはY2をこれ以上怒らせたら何をされるか分からないとの恐怖感の下で、接待交際費の不正取得を認める内容のメッセージの送信を余儀なくされ、確認書にも署名押印せざるを得なかったことや、イタリア出張から帰国するまでは黙認しており、「Xが接待交際費の騙取ないし横領を認めたものと直ちに認めることはでき」ず、その他、Y1の従前の対応を踏まえれば、「Xによる平成28年9月以降の接待交際費の申請及び使用が不正とまでは言い難い」と結論付けました。
Ⅳ 本事例からみる実務における留意事項
本判決の争点②ないし④については、本件事案の具体的な事実を前提として、その限りで下されたいわゆる事例判断ですが、争点①「減給措置の有効性」に関する判断枠組については、他の裁判例においても同様の枠組で検討がなされているため理解しておく必要があります。
そこで、争点①「減給措置の有効性」の判断枠組に関する留意事項を解説します。
まず、就業規則の作成義務が課されている企業では、通常、就業規則の規定を根拠に人事上の措置を講ずることになりますが、Y1のように就業規則を作成していない会社では、使用者が人事上の措置を講ずるための根拠を契約上の合意に求めざるを得ません(労働契約法8条)。この合意は、明示・黙示を問いません。
しかし、労働契約において、賃金は最も基本的な要素であり、使用者による有形・無形の圧力のなかで労働者が真意によらずにそのような行動(異議を述べず減額された賃金を受領するなど)をとらざるを得ない状況に置かれている可能性がありますので、最高裁判例(平成28年2月19日判決、山梨県民信用組合事件)においても、退職金減額に関して同趣旨の判断がなされており、自由な意思に基づく合意の存否の判断に当たっては慎重、厳格な認定が行われています。
本判決についても、他の判例の傾向に沿った判断枠組を示しており、【本件減給措置に対する労働者の合意の有無】について、「形式的な合意の有無にとらわれず」、その合意が「労働者の自由な意思に基づいてされたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否か」という観点から検討されています。そのうえで、上記Ⅲの第1項に記載の事実関係から、「形式的に合意があったとしても、Xの自由な意思に基づいてされたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとはいえない」として、本件減給措置を無効と結論付けているのです。
したがって、使用者としては、労働条件の不利益変更について、労働者から形式的な合意が得られたとしても、労働者が「その真意に基づき受け入れたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」しなければ、事後的に争われた場合には、減給措置は無効となるため注意しなければなりません。
少なくとも、使用者としては、労働者に対して、減給の理由等を十分に説明し、理解を得られるように努めたうえ、合意された内容を書面化しておくことが望ましいといえます。
また、本件事案のように、不当な動機をもって人事上の措置(降格・減給・配転)を行った場合、同措置が無効になるだけではなく、別途、同措置が不法行為となり、労働者に対し、慰謝料を支払う必要があるため、退職に追い込むなどの不当な動機もった措置を取ることは不適切でしょう。
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