監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
定額残業代を採用している会社であっても、その効果やリスクを正確に把握できているとは限りません。
もしも定額残業代の効力が否定されてしまうと、定額残業代として支払っていると思っていた割増賃金を支払っていなかったこととなり、未払い残業代が巨額になってしまうリスクがあります。そのため、正確な知識に基づいて、万全の準備をしてから導入しなければなりません。
ここでは、定額残業代のメリットやリスク、有効性、導入するための要件等について解説します。
目次
定額残業代とは
定額残業代とは、残業の有無にかかわらず、あらかじめ割増賃金を一定額、固定して支払う残業代です。定額残業代は、固定残業代やみなし残業代とも呼ばれます。
定額残業代により、残業の有無にかかわらず、あらかじめ一定額の割増賃金を支払う方法については、一定の要件を満たす場合、違法にはならないと判例で認められています。しかし、適法な定額残業代制と認められなければ、過重な未払い賃金が発生することになるため、導入するときには慎重に対応しなければなりません。
定額残業代の種類
定額残業代の種類として、組込型と手当型が挙げられます。
<組込型>
組込型の定額残業代は、基本給の中に定額残業代を組み込んだ形態であり、「基本給30万円(定額残業代5万円を含む)」といった表記をします。
<手当型>
手当型の定額残業代は、基本給とは別に定額残業代を支払う形態であり、「基本給25万円+定額残業代5万円」といった表記をします。
定額残業代のメリット
定額残業代を導入するメリットとして、人件費を把握しやすくなることや、時間外労働を抑制する効果が期待できること等が挙げられます。
これらのメリットについて、以下で解説します。
的確な人件費の把握
定額残業代を導入すると、残業代の変動が少なくなり、人件費を予測しやすくなるというメリットがあります。
人件費が毎月のように大きく変動してしまうと、資金繰りの計画が立てにくくなるところ、固定残業代を導入しておけば、毎月の残業代がいくらになるのかを概ね把握できますので、資金繰りの不安が緩和されます。
時間外労働の抑制
定額残業代を導入すると、無駄な時間外労働を抑制しやすくなることがメリットとして挙げられます。
残業するほど残業代が増えるのであれば、従業員はわざと残業時間を延ばして残業代を稼ごうとするかもしれません。しかし、固定残業代により残業時間を延ばすメリットをなくせば、従業員は効率よく働いて残業時間を抑えようとすると考えられるので、時間外労働を抑制できます。
定額残業代のリスク
定額残業代のリスクとして、支払った定額残業代が法的に無効とされてしまうと、未払い残業代の支払いが巨額になってしまうおそれがあることが挙げられます。
具体的に、どのようにして未払い残業代が巨額になるのかについて深掘りしていきましょう。
残業代が未払いと判断される
定額残業代が無効と判断されてしまうと、今まで定額残業代として支払ってきた賃金が残業代ではないことになり、定額残業代に該当する金額を支払っていないことになってしまいます。
そうすると、残業代の未払分が相当高額になってしまいます。定額として支払ってきた残業代を取り返すことはできず、新たに残業代を支払う必要が生じるため、会社にとっては二重払いのような状態となるのです。
残業代の消滅時効が3年に延長されたことも影響して、定額残業代が無効になってしまうと、未払い残業代の請求額は高額化するおそれがあります。
なお、割増賃金に関して、さらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
残業代を計算する際の時間単価が跳ね上がる
定額残業代が無効とみなされると、今まで支払ってきた定額残業代は基本給であったとみなされてしまいます。
すると、残業代を計算するときに用いる基本給の1時間あたりの単価が跳ね上がります。残業代は、基本給の1時間あたりの単価を割り増した単価によって算出するため、結果として未払い残業代の合計額も高額化することになります。
例えば、残業を除いた労働時間を月平均160時間とすると、「基本給20万円+定額残業代10万円」であれば、1時間あたりの単価は「20万円÷160時間=1250円」となります。このケースで、定額残業代が無効になると基本給30万円とみなされてしまうため、1時間あたりの単価は「30万円÷160時間=1875円」となり、定額残業代が有効であるケースと比較して高額になっています。
こちらでは割増賃金の計算方法について詳しく解説していますので、併せてご覧ください。
付加金の支払いを命じられるおそれがある
付加金とは、労働者から請求されることにより、割増賃金等を支払わない使用者に対して、裁判所が未払いの割増賃金等に加えて支払いを命じるお金のことです。付加金は、悪質な理由で割増賃金等を支払わなかった使用者に対する制裁の意味を持った制度といえます。
この付加金について、労働基準法114条は、未払金と同額の付加金の支払いを命ずることができる旨を規定していますから、訴訟で敗訴すると、企業としては、最大で未払残業代の2倍の額の支払いを命じられるおそれがあります。
こちらでは付加金と併せて遅延損害金についても解説しています。ぜひご参照ください。
判例からみる定額残業代制の有効性
定額残業代制の有効性について、労働時間が月間180時間以内であった場合には基本給が増額されない労働契約を結んでいた事例をご紹介します。
当該事例では、時価外割増賃金を支払い済みとはいえず、労働者(上告人)が月180時間の範囲内外にかかわらず時間外労働をした場合に、使用者(被上告人)が基本給41万円を支払っていたとしても、それとは別に割増賃金を支払う義務を負うと判示しました。
ポイント・解説
上記判例の補足意見において、定額残業代の支給が有効になるための考え方として次の条件が提示されており、その後の裁判例にも影響を与えました。
- ①雇用契約上、賃金に一定時間分の残業手当を算入している旨が明確にされていること。
- ②賃金を支給するときに、時間外労働の時間数と残業手当の金額を従業員に明示すること。
- ③一定時間を超えて残業が行われた場合は、別途上乗せして残業手当を支給する旨が明確に示されていること。
例えば、毎月の賃金の中にあらかじめ一定時間分(例えば10時間分)の残業手当を算入している場合でも、
①基本給と手当として区別しておくこと、
②支給時に時間外労働時間数を明示すること(その前提として時間管理を実施しておくこと)、
③固定時間(上記の例だと10時間)を超えた場合には超えた時間に相当する割増賃金を支給することが合意されたり、実際に支給されたりしていること等が求められているといえるでしょう。
定額残業代制が認められるための要件とは
定額残業代制が有効と認められるためには、以下の要件が満たされる必要があります。
- ①固定残業代制の採用につき従業員との間で合意が得られていること(個別合意の要件)
- ②労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができること(明確区分性の要件)
なお、3つ目の要件として、固定残業代によりカバーされている時間分を超える時間外労働については、別途、割増賃金を支払うことの合意(差額精算合意の要件)が必要とする見解もありますが、固定残業代でカバーできない時間外労働について、割増賃金を別途支払うことは、労基法上当然のことであるため、これを独立の要件とする必要はないと考えられます。
また、これらの要素のほか、近年では、時間外労働との対価性が認められることや、公序良俗に反しないこと等も論点となることが増えているため、制度設計の際には、最新の裁判例の状況を確認することが重要です。
定額残業代制についてこちらも参考になると思います。ぜひご覧ください。
定額残業代制を導入する際の注意点
定額残業代制を新たに導入するときには、無効とみなされないように注意しなければなりません。
導入するときに注意するべき具体的な点について、以下で解説します。
定額残業代の支払い方法
定額残業代を支払うときには、支払われた給料の中で、定額残業代の金額がいくらなのかがわかるように記載する必要があります。
具体的には、以下の点は明記する必要があります。
- ①固定残業代を含まない基本給の額
- ②固定残業代に関する労働時間数とその金額
- ③固定残業時間を超える時間外労働、休日労働および深夜労働に対して割増賃金を追加で支払うという説明
就業規則への規定
定額残業代を有効に支払うためには、就業規則に以下のことを定めなければなりません。
- ①定額残業代の金額と、その金額の計算方法
- ②定額残業代に相当する残業時間
- ③定額残業時間を超えた残業については、超過した時間の残業代を支給するという規定
- ④定額残業代が深夜割増残業代及び休日割増残業代を含む場合には、その旨の規定
なお、上記の内容を規定した就業規則は、労働組合等の意見を聞いて意見書を作成し、労働基準監督署長に提出したうえで、従業員に周知する必要があります。
定額残業代制の残業時間
定額残業代に相当する残業時間は、最高でも45時間以内にするべきだと考えられます。
なぜなら、通常の36協定で認められる法定外労働(いわゆる残業)時間は45時間を上限としており、それよりも長時間を定額残業代の対象とするのは問題があるケースが多いからです。
45時間を上回ったとしても、ただちに不当とみなされるわけではありませんが、残業時間の短縮が社会的な要請である昨今では、なるべく短くする努力が求められると考えられます。
定額残業代制の有効性に関するQ&A
定額残業代の有効性について、よくある質問をご紹介します。
定額残業代と認められなかった場合、残業代はどの時点まで遡って支払う必要があるのでしょうか?
-
労働基準法115条が定めているとおり、未払残業代等の請求権は2年間で消滅時効が経過します。消滅時効は債務者が援用(民法145条)しなければその効果は生じませんが、未払の残業代を請求されれば、会社は2年より古いものは消滅時効を援用するのが通常です。
したがって、残業代は2年前まで遡って支払う義務があるといえると考えられます。
また、民法改正により消滅時効が5年間に統一されたことを踏まえて、短期の消滅時効が定められていた賃金債権についても延長され、2020年4月1日以降に支払時期が到来する賃金債権については、3年間となっているため、今後はさらに注意が必要となります。
割増賃金の消滅時効については、こちらも併せてご覧ください。
労働基準法
(時効)第115条
この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は2年間、この法律の規定による退職手当の請求権は5年間行わない場合においては、時効によって消滅する。
裁判で定額残業代が無効となった場合、付加金は必ず支払わなければならないのでしょうか?
-
付加金支払義務は、使用者が労基法に違反して上記の金員を支払わないことによって当然に発生するものではなく、裁判所が支払いを命じ、その裁判が確定して初めて発生します。これは、付加金の支払いが裁判所の裁量的命令として規定されているからです。
実際には、未払いの原因となった出来事の内容、未払いが生じた際の使用者の認識、未払行為の悪質性等(例えば、わざと支払っていなかったのか、理解不足であったのか、計算ミスであったのか等)を加味して判断されることが多いといえるでしょう。
定額残業代制は、適切な運用によって労働者に理解してもらうことが必要です。人事労務に詳しい弁護士にお任せください
定額残業代の効力が否定されたときのリスクの大きさを踏まえると、事前に万全の対策を用意できないのであれば、定額残業代を積極的に導入するべきではありません。また、定額残業代制度を導入する場合には、従業員の合意を得る必要があるため、簡単に導入できるわけではありません。
弁護士法人ALGでは、多数の企業からご依頼をいただいた経験により、そもそも定額残業代を導入する必要性があるのかについて判断し、必要であれば導入のお手伝いをすることが可能ですので、お気軽にご相談ください。
また、定額残業代の導入に伴う就業規則の作成・改定についても、経験豊富な弁護士が多数在籍しています。その他の就業規則の見直し等をお考えの際にも、ぜひご相談ください。
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執筆弁護士
- 弁護士法人ALG&Associates
この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある