雇用契約書がない時に起こりうるトラブル

弁護士法人ALG 執行役員 弁護士 家永 勲

監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員

雇用契約書がなければどのような条件で使用者と労働者が合意していたのかが、客観的に特定できなくなるおそれがあります。求人情報と実際の労働条件が違うといった双方の認識のズレは、後々大きなトラブルに発展しかねません。
本コラムでは、雇用契約書がない時に起こりうるトラブルについて、わかりやすく解説していきますので、自社における対策にぜひお役立てください。

雇用契約書がない時に起こりうるトラブルにはどのようなものがあるか

雇用契約書がない時に起こりうるトラブルとしては、労働者と使用者との間で労働条件の認識に齟齬がある場合に、当該労働条件の内容をめぐってトラブルに発展することが多いです。

例えば、みなし残業制に関することや、有給休暇の取り扱い、試用期間や解雇に関する事項などが挙げられます。

雇用契約書がないことは違法なのか?

雇用契約書というタイトルの書面がないことが違法かというと、ただちにそうなるわけではありません。しかし、後々起こりうるトラブルを想定すると、作成しておくことが望ましいです。

そもそも雇用契約書とはどういったものなのか、まずは、その定義を理解しておきましょう。

そもそも雇用契約書とは

一般的に、契約は意思の合致があれば、口頭でも成立するため契約書は必ずしも必要ではありません。ただ、そうすると契約内容が不明確となり、言った言わないのトラブルになるため、通常は契約が成立すると、当該契約の内容を客観的に裏付けるため契約書を作成します。雇用契約も契約の一部ですので例に漏れません(労契法7条参照)。

もっとも、労働基準法15条1項では以下のように規定しています。

(労働条件の明示)
第15条 使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。この場合において、賃金及び労働時間に関する事項その他の厚生労働省令で定める事項については、厚生労働省令で定める方法により明示しなければならない。

そして、この法務省令では、明示しなければならない労働条件は、原則として、次に掲げるものとしています(労基則5条1項)。

労働基準法施行規則
第5条

  • 一 労働契約の期間に関する事項
  • 一の二 期間の定めのある労働契約を更新する場合の基準に関する事項
  • 一の三 就業の場所及び従事すべき業務に関する事項
  • 二 始業及び終業の時刻、所定労働時間を超える労働の有無、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて就業させる場合における就業時転換に関する事項
  • 三 賃金(退職手当及び第五号に規定する賃金を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
  • 四 退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
  • 四の二 退職手当の定めが適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
  • 五 臨時に支払われる賃金(退職手当を除く。)、賞与及び第八条各号に掲げる賃金並びに最低賃金額に関する事項
  • 六 労働者に負担させるべき食費、作業用品その他に関する事項
  • 七 安全及び衛生に関する事項
  • 八 職業訓練に関する事項
  • 九 災害補償及び業務外の傷病扶助に関する事項
  • 十 表彰及び制裁に関する事項
  • 十一 休職に関する事項

さらに、「第一項第一号から第四号までに掲げる事項(昇給に関する事項を除く。)」については、原則として、これらの「事項が明らかとなる書面の交付」をしなければならないとしています(労基則5条3項、4項)。

これらの規制に従って交付される書面がいわゆる「労働条件通知書」であると考えられます。

「労働条件通知書」とは何が違うのか?

労働条件通知書とは、上で述べた書面をいうと考えられます。

これに対し雇用契約書は、使用者と労働者との間で成立した内容を記載したものをいいます。「労務の提供」や「報酬の支払い」などがこれにあたり、使用者と労働者双方が確認のうえ、署名捺印し保管し合う書面のことです。この点、労働条件通知書は、基本的に使用者側が労働者側に一方的に通知します。

労働条件通知書に関する詳細は、以下のページも併せてご覧ください。

雇用契約書に法的義務はなくても労働条件の明示義務はある

雇用契約書に法的義務はなくても、労働条件の明示義務があることは上で述べたとおりです。

たとえ、求人情報への記載や、面接での口頭説明等によって労働条件を伝えていても、言った言わない、聞いた聞いていないのトラブルが生まれかねません。

労働基準法では、使用者が労働者に対し、“労働条件通知書をもって”契約期間や就業場所、就業時間、賃金、休日・休暇といった項目について明示する義務を定めています。

これに対し、雇用契約書はあくまでも任意であり、取り交わすことを推奨されている程度に留まります。
以下のページでも詳しく解説していますので、ぜひご一読ください。

労働条件を明示していない場合の罰則

上述の労働基準法15条1項の規定に違反した者は、「三十万円以下の罰金に処する」とされます(労基法120条1号)。

なお、明示はあっても、その内容が事実と異なる場合は、労働者は即時に労働契約を解除することができます。この場合、労働者が就業のために転居したなどがあれば、契約解除日から14日以内に帰郷する際に、使用者は必要な旅費を負担しなければなりません。

明示義務違反に関する詳しい解説は、以下のページに譲ります。

雇用契約書で明示が必要な労働条件とは?

労働基準法上の規制は、上述のとおりです。

「絶対的明示事項」と「相対的明示事項」がありますが、雇用契約書においては主に前者を記載しておくとよいでしょう。雇用契約書は、一方的な通知である労働条件通知書とは異なり、双方が署名・捺印・保管するものですので、「確認していなかった」「聞いていない」といったトラブルを防ぐことができるためです。

詳しくは、以下のページも参考となりますので、ぜひご一読ください。

→(採用_労働条件明示 リンクページ:明示すべき労働条件の内容)

雇用契約書を作成するにあたって注意すべき点

雇用契約書作成においての注意点としては、労働基準法上明示が求められている事項については雇用契約書に記載してこれをカバーしつつ、その他にも労働条件が不明確となることによってトラブルが予想される事項については労働条件通知書に盛り込むとよいと考えられます。

雇用形態によって注意すべきポイントがありますので、以降みていきましょう。

正社員と取り交わす場合

詳細な労働条件は就業規則の定めによることが多いと考えられますが、就業規則と異なる定めをしたい場合などは、慎重に内容を定める必要があるでしょう。

例えば、転勤や配置転換の可能性がある旨を盛り込むかどうかなど、大きなトラブルに発展しかねない事項については特に慎重に検討することが求められます。

契約社員と取り交わす場合

契約社員とは、期間の定めのある雇用契約をいうものと考えられますが、そうすると、期間の定めを設定する必要があります。なお、原則として、労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、三年を超える期間について締結してはなりません(労基法14条1項)。

労働条件を変更する際はもちろん、労働条件を変更しないものの、契約を更新する場合についても、雇用契約書の更新・再締結が必要となります。

以下のページではより詳しく解説していますので、併せてご覧ください。

パート・アルバイトと取り交わす場合

同一労働同一賃金の観点から、パート・アルバイトの労働者から、雇用契約書の作成を求められることもあります。この事態に備え、事前に対策をしておくことが求められます。

パート・アルバイトでは短時間勤務になることが多いと思われます。このため、勤務時間や勤務日数等について認識の相違がないようにする必要があります。

外国人と取り交わす場合

意思の合致があってはじめて契約が成立します。仮に雇用契約書に記載があったとしても外国人労働者がまったくその内容を理解していなかったのであれば、雇用契約の成立自体に疑義が生じます。したがって、しっかりと内容を理解してもらうことが重要と考えられます。

試用期間を設ける場合

試用期間を設ける場合、試用期間や試用期間中の賃金といった事項についても明示する必要があります。

試用期間は、本採用をするかどうかを判断するために試験的な期間であると考えられています。試用期間が長すぎると公序良俗に反するなどとして無効になる可能性もあります。一般的には3ヶ月前後が多いのではないでしょうか。

採用時の試用期間に関する詳細は、以下のページをご覧ください。

雇用契約書と就業規則の関係について

雇用契約書と就業規則の関係については、労働契約法7条および労働契約法12条にて定められています。まずは、それぞれの内容を確認してみましょう。

労働契約法第7条(労働契約の成立)
労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

労働契約法第12条(就業規則違反の労働契約)
就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。

要するに、就業規則があれば「就業規則の内容=労働契約の内容」になりますが、個別に雇用契約を締結している、つまり雇用契約書の取り交わしがある場合には、個別の雇用契約内容が優先されることになります。

しかし、就業規則には、労働者の最低基準を定める“最低基準効”があります。通常、これを下回る雇用契約は無効となり、その部分の労働条件は就業規則が適用されることになると考えられます。

逆に、就業規則の内容を上回る雇用契約内容は優先されることとなる傾向にあります。基本的に労働者に有利な内容が適用されると認識しておいた方がよいでしょう。

この点からも、雇用契約書の内容と就業規則の内容に齟齬が生じないよう、細心の注意をはらって作成することが求められます。より適切・適法に進めていくには、弁護士に相談されることをおすすめします。

本件については、以下のページも参照しながらより理解を深められることをおすすめします。

雇用契約書の有無が争点となった裁判例

雇用契約書は労働者と使用者との間で合意した労働条件を客観的に残すものですから、雇用契約書の有無が争点となるというより、当事者間に労働条件の内容について争いがあり、当該労働条件を客観的に証明する資料として雇用契約書の有無が問題となることが多いと考えられます。

たとえば、固定残業代制度を採用しているような使用者の場合、固定残業代制度が有効となるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することができるようになっていなければなりませんが、裁判では、この通常労働時間賃金にあたる部分と時間外割増賃金にあたる部分とを「判別できるかどうか」が争点となり、この争点を判断する上での重要な資料の一つとして、雇用契約書の有無やその内容が問題になると考えられます。この例でいうと雇用契約書の記載がなければ「判別できない」という方の材料として斟酌されることでしょう。

事件の概要

4年生大学を卒業し新卒採用で入社した原告と、有期雇用契約を結んできた被告会社により、雇止めの有効性が問題となった裁判例です。

争点は以下のとおりです。

被告は,平成25年4月1日付の雇用契約書において,平成30年3月31日以降は契約を更新しないことを明記し,そのことを原告が承知した上で,契約書に署名押印をし,その後も毎年同内容の契約書に署名押印をしていることや,転職支援会社への登録をしていることから,原告が平成30年3月31日をもって雇用契約を終了することについて同意していたのであり,本件労働契約は合意によって終了したと主張する。
引用元:福岡地方裁判所 平成30年(ワ)第1904号 雇用契約上の地位確認等請求事件 令和2年3月17日

裁判所の判断(事件番号・裁判年月日・裁判所・裁判種類)

裁判所は次のように判断しました。

原告は,平成25年から,平成30年3月31日以降に契約を更新しない旨が記載された雇用契約書に署名押印をし,最終更新時の平成29年4月1日時点でも,同様の記載がある雇用契約書に署名押印しているのであり,そのような記載の意味内容についても十分知悉していたものと考えられる。 ところで、約30年にわたり本件雇用契約を更新してきた原告にとって,被告との有期雇用契約を終了させることは,その生活面のみならず,社会的な立場等にも大きな変化をもたらすものであり,その負担も少なくないものと考えられるから,原告と被告との間で本件雇用契約を終了させる合意を認定するには慎重を期す必要があり,これを肯定するには,原告の明確な意思が認められなければならない。 不更新条項が記載された雇用契約書への署名押印を拒否することは,原告にとって,本件雇用契約が更新できないことを意味するのであるから,このような条項のある雇用契約書に署名押印をしていたからといって,直ちに,原告が雇用契約を終了させる旨の明確な意思を表明したものとみることは相当ではない。
引用元:福岡地方裁判所 平成30年(ワ)第1904号 雇用契約上の地位確認等請求事件 令和2年3月17日

ポイント・解説

裁判所は、労働者が雇用契約書の記載の意味内容について十分知っていたとしても、雇用契約が終了する旨の明確な意思を表明したとみることはできないとして、雇用契約書記載どおりの効果を認めていません。このように雇用契約書を作成することは重要ですが、必ずしもそれだけでは十分ではなく、明確な意思の合致があるかどうかが重要と考えられます。

労使トラブルを回避するためにも雇用契約書は必要です。不明点があれば一度弁護士にご相談ください

労働条件を明確に記載し、労使トラブルを回避するためにも雇用契約書は必要です。

雇用契約書を作成したからといってトラブルを回避できるとは限りませんが、防げるトラブルもあるかもしれません。「あの時、きちんと雇用契約書を作っていれば…」といった後悔がないよう、事前に対策できることには積極的に検討すべきでしょう。

労務分野に精通した弁護士であれば、適切な雇用契約書の作成をサポートすることができます。不明点があれば一度弁護士に相談されることをお勧めします。

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執筆弁護士

弁護士法人ALG&Associates
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この記事の監修

執行役員 弁護士 家永 勲
弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)

執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。

近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある

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