Ⅰ 事案の概要
1 Xは、平成20年1月1日、Y社との間で期限の定めのない労働契約を締結しました。入社時に、Xは、Y社東京本社の配属となり、Xの都内の自宅から東京本社までの通勤に要する実費が全額、後払いの方法で支給されていました。
2 Xは、平成27年12月1日、Y社の茨城工場への異動が命じられ、梱包作業に従事するようになりました。都内にあるXの自宅から茨城工場までは、電車やバスを乗り継いで、約3時間掛かり、大幅に通勤時間が増えることが見込まれました。しかし、Xは、茨城工場の近辺に転居するのではなく、自宅から茨城工場に通勤しました。
3 平成27年12月18日、Xは、通勤途中で交通事故に遭い、同日から平成28年4月中頃までの約4か月休職しました。また、Xは、復職してから、平成28年5月31日まで、40日間はリハビリのため、時短勤務をしました。
Xは、同年6月1日には、時短勤務を終了しており、従前とそん色のない形で勤務することができていました。
4 Y社は、平成28年11月4日、Xに対し、同年12月から茨城工場の近くに単身で転居するように命じました(以下「本件転居命令」といいます。)。これを受け、Xは、同月8日、Y社に対し、通勤費を自己負担するので、引き続き、都内の自宅から通勤したい旨を申し入れたところ、Y社は、安全管理の見地からXの申入れを認めませんでした。
その後も、Xが茨城工場の近くに転居しなかったため、Y社は、平成29年3月31日、Xを同日付けで解雇することを通知しました。解雇通知書に記載された解雇理由には、Y社就業規則中の「その他各号に準ずる程度のやむを得ない事由があったとき」に該当することが記載されていました。具体的には、本件転居命令に対し、Xが、繰り返しの説明・説得にもかかわらず、不合理な反抗を続け、正当な理由なく本件転居命令に従わなかったことが挙げられていました。
5 そのため、Xは、Y社がXに対してした解雇(以下「本件解雇」という。)が無効であると主張して、Y社に対し、①労働契約上の権利を有する地位にあることの確認、②本件転居命令に従う義務がないことの確認、③未払交通費の支払い、④労働契約に基づく賃金・賞与等の支払い、⑤本件解雇による慰謝料を求め、Y社を提訴しました。
Ⅱ 判決のポイント
1 本件命令の有効性
(1)判断の前提(判断枠組み)
裁判所は、本件転居命令の有効性を判断する前提として、Y社の就業規則上、Xの配置転換をできることや、配置転換に応じて居住地の変更が必要となる場合の取扱いを別に定める旨が定められていたため、Y社がXの配置転換をする権限がXとの労働契約から認められることを確認しています。
その一方で、Y社が、Xに対し、配置転換を命じたり、居住地を定めたりする権限があるとしても、本件命令を出すことが権利の濫用に当たる場合には命令が無効になることを述べ、東亜ペイント事件最高裁判決(最二小判昭和61年7月14日)が示した判断枠組みを用いて権利濫用該当性を判断することを明らかにしています。権利濫用に該当しうる具体的な状況として、①業務上の必要性が認められない場合のほか、業務上の必要性が認められるとしても、②不当な動機・目的を持って命令が出された場合、③労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせる場合等、特段の事情が認められるときに限る旨を述べています。
(2)裁判所の判断
本件転居命令につき、東亜ペイント事件の判断枠組みに従えば、まず、本件転居命令の業務上の必要性が認められるかを判断することになります。
そこで、Y社は、「往復6時間の長時間通勤は、原告(X)の健康不安、疲労や睡眠不足による工場内事故の危険、通勤途中の事故や交通遅延の可能性の増大、残業を頼みにくい不都合等から、被告(Y社)は原告(X)の長時間通勤を長期間放置することはできず、本件転居命令には業務上の必要性がある」ことを主張しました。
しかし、裁判所は、「原告の茨城工場での業務内容は梱包作業であり、早朝・夜間の勤務は必要なく、緊急時の対応も考え難いこと」を述べ、Xの業務内容等からして、茨城工場の近くに転居させずとも、業務遂行への影響があるとは言い難い事実を認定しました。
また、「原告不在時には他の従業員が原告の業務に対応することができたこと、原告に残業が命じられることはなかったこと、原告は、片道3時間かけて通勤しているが、交通事故のために休職した期間と一度の電車遅延による遅刻の他は遅刻や欠勤はなく、長距離通勤や身体的な疲労を理由に仕事の軽減や業務の交替を申し出たこともほとんどなかったことが認められる。」と述べ、これまで、Xが茨城工場の近くに居住していないことによる影響がなかったことを認定しています。
これら事実を前提に、裁判所は、「原告が転居しなければ労働契約上の労務の提供ができなかった、あるいは提供した労務が不十分であったとはいえず、業務遂行の観点からみても、本件転居命令に企業の合理的運営に寄与する点があるとはいえず、業務の必要性があるとは認められない」と述べ、本件命令が無効である旨判断しました。
なお、Y社は、Xの長時間通勤を放置することが、労働契約法や労働安全衛生法上不相当であると主張していましたが、「単身赴任による負担と長時間通勤の負担とを比較すると、一概に後者の負担が重いとも断じ難いし、企業の安全配慮義務の観点からも、原告に被告が赴任手当等の金銭的負担(就業規則や旅費規程に則った合理的なもの)の上で転居する機会を与えているのだから、安全配慮義務を一定程度果たしているといえ、それを超えて転居を命令する義務があるとまではいえない。」として裁判所は採用していません。
2 その他の点の判断
裁判所は、本件転居命令が無効であり、Xが本件転居命令に従う義務がないため、本件転居命令に従わなかったことを理由とする解雇が無効であるとしました。そのことを前提に、裁判所は、未払賃金や未払交通費の請求を一部認めました。
他方で、慰謝料に関しては、Y社には、本件転居命令を出すことにつき不当な動機・目的の存在は認められないこと、Xの転居を強く求めたのも安全配慮義務の履行のためであったことは否定できないことから、不法行為が認められず、Xの慰謝料請求は認められませんでした。
Ⅲ 本事例からみる実務における留意事項
我が国の経営慣行上、労働者に対して勤務場所の変更を伴う異動を命じることは珍しくなく、裁判所も、配置転換の命令の有効性について比較的緩やかに業務上の必要性を認めて来た傾向があります。これは、各労働者をどこに配置するかという問題は、経営上重要な事項であるため、比較的、立証が容易であったからであることも一因にあります。
その一方で、本判決では、勤務場所の変更を命じることができるとしても、それに伴い労働者がどこに居住するかについて、使用者が決定する権限には限界があることが示されました。配置転換は有効でも居住地の変更が命令できない場合には、通勤手当について上限額や支給条件などが定められていないときは、配置転換の実現に想定外の支出を伴うことにもなりかねず、遠方への配置転換を実施することが想定される場合には、あらかじめ通勤手当の支給条件などについても明確にしておくことが望ましいといえるでしょう。
今後、使用者側から勤務場所の変更にあたって転居することを想定して配置転換を命じる場合には、配置転換の必要性のみではなく、転居が必要な理由を立証できる準備をした上で、命令を出す必要があると言えます。
特に、本判決では、労働者の安全管理や健康への配慮という漠然とした理由では業務上の必要性が肯定されなかったことを念頭に、「当該事業所において、当該労働者に、使用者が指定した居住地でないと対応が困難な事態がどのように想定されるか」を入念に検討しておく必要があります。
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