I.労災保険制度と会社の損害賠償責任の関係について
最近、労働者災害補償保険(以下、「労災保険」といいます。)給付上の認定で、労基署等の行政から『業務上の疾病』と認定されず、労災保険不支給と判断された場合でも、会社が損害賠償責任を負うことはあるのか、というご質問を多くいただきます。そのため、今回は、若干古いものではありますが、労災保険上不支給とされた場合でも会社の損害賠償責任が認められた事例をご紹介いたします。
前提として、労災保険制度と会社の損害賠償責任の関係についてご説明いたします。
まず、従業員が業務上疾病を負った場合、使用者には疾病等の治療費等に対する療養補償や、療養による休業中に給与の6割を支給する休業補償等といった形で、従業員が負った損害の一部について補償する労働基準法上の義務があります。加えて、当該補償対象を超過する部分についても、安全配慮義務違反に基づき損害賠償責任を負う可能性があります。
一方で、労災保険は使用者が補償すべき金銭の一部を填補するもので、業務遂行中に業務から起因する疾病、すなわち『業務上の疾病』と認められた場合に、労災保険により支給された金額の限度で、使用者は損害賠償責任を免れる(但し、精神的損害からの控除はできないとされています。)ことになります。
また、労災保険給付は行政上の手続であり、会社からの補償等よりも早期に支給されることから、従業員としても労災保険上の給付認定を受けてから、当該給付により補填できない超過損害部分について、会社に対して民事訴訟等を行うケースが多いと思います。
このように、労災保険により支給された金額については、会社の損害賠償責任から控除できる関係にあることから、労災保険上の給付認定で『業務上の疾病』と認定されなかった場合、行政が支払う必要がないと判断した金員について、会社が損害賠償責任を負うことはあるのかという疑問が生じることになります。
すなわち、行政(労基署等)により、業務と疾病との間に因果関係がないと判断された場合であっても、司法(裁判所)により因果関係があると認められる場合があるのでしょうか。
II.東京高裁平成11年7月28日判決
(1) 事案の概要
本件は、システムエンジニアとして約15年間にわたりY社の開発業務に従事していた従業員Xが脳幹部出血により死亡したため、Xの遺族が会社に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求訴訟を提起した事案です。
Xは死亡する約1年前からプロジェクトリーダーとして遂行困難なプロジェクト(以下、「本件プロジェクト」といいます。)を扱い、クライアント等と協力会社のSEとの間の苦情等を一身に受けプロジェクトを調整するという板挟みにあっていました。
また、Xの相続人である原告側は訴訟提起の前に新宿労基署長等に対し労災保険給付申請を行ったものの、当時労働省が出していた通達(平成7年2月1日基発38号)では、発症直前又は発症前1週間における就業状況において判断がなされるものであったため、当該期間においてXは特段深刻なトラブルに遭遇しておらず、かつ、本件プロジェクト上のシステム運用は他の会社に移転していたことを考慮し、Xの脳幹部出血は業務上起因するものではないと認定されました。
(2) 裁判所の判断
裁判所は、上記通達の期間にとらわれず、「XはY社に勤務して以来、恒常的に過大な労働をしてきており、本件プロジェクトにおいてプロジェクトリーダーに就任してから死亡するまでの約一年間は、さらに時間的に著しく過大な労働を強いられた」とし、上述の板挟みのストレスから高度の精神的緊張にさらされており、疲労困憊していたとして、Xの本件プロジェクト全体において受けたストレス等や労働時間等について認定したうえで、「Xの死亡前の業務が著しく過重であったことは明らかである。」と判断しています。
そのうえで、死亡の原因となった脳幹部出血及びその前提となった高血圧と業務との間の相当因果関係について、本件プロジェクトの業務が著しく過重であったことから高血圧が増悪していたことや、死亡直前の3か月間及び直前の1週間の労働時間が過大であったこと、死亡直前に休日出勤をして12時間程度に渡りトラブルの対応をしていたこと等から、「これらの要因が相対的に有力な原因となって、脳出血発症に至ったものであると解するのが自然であ」るとして、業務と脳幹部出血との間の相当因果関係を認めています。
また、裁判所は、業務と疾病の因果関係については「証拠により認定した事実」に基づいて判断するものであって、上記通達の認定要件については、「行政機関において労災ないし公務災害の認定をする際の認定基準にすぎず、右認定要件が認められないことの一事をもって業務と疾病との間に因果関係がないと断定することはできない」として、裁判所における相当因果関係の判断と行政における労災保険上の業務起因性の判断との差異を示しました。
すなわち、本判決によると、行政(労基署等)により業務と疾病との間に因果関係がないと判断された場合にあっても、司法(裁判所)により因果関係があると認められる場合があるということになります。
なお、京都地裁平成22年5月25日判決判タ1326号196頁においても、「労働時間についての労働基準監督署長の判断は、労働者災害補償保険の給付を行うべきか否かを目的としてなされるものであり、損害賠償の履行として給付されるものではないから、本件請求においては、労働基準監督署長の判断と同様の判断をすることは合理的ではない。」として、行政と司法の判断の違いを強調しています。
III.本判決から見る実務における留意事項
本事例における上記通達よりも後に脳・心臓疾患死に関する通達として平成13年12月12日基発1063号が出されており、疾病の発症前6か月にわたって著しい疲労の蓄積をもたらすとくに過重な業務に就労したこと(目安としては1か月80時間以上の時間外労働があること等)が業務上の疾病にあたるか否かの判断基準として認められています。
しかし、裁判例においては、当該通達を参考にはしつつも、行政とは異なる事実認定を行い、業務の具体的な性質や従業員に対する人事の状況等、時には、行政において判断されない事情を考慮した上で、業務と疾病の相当因果関係の認定を行っています。労災保険の支給認定に関しても、労基署長等による行政における判断に不服がある場合には、行政訴訟により最終的に裁判所による判断がなされることで、業務上の疾病と認められる事例も多く見られます。
そのため、会社において従業員が疾病等に罹患し、あるいは死亡等した場合には、行政による労災保険上の認定は考慮に入れつつ、裁判所がどのように認定を行っていくかを視野に入れて対応を検討していかなくてはなりません。
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