労働慣行
監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
労働慣行は、いわゆる社内の「暗黙の了解」です。就業規則など明確な根拠はないものの、長年の慣習や黙認によって使用者と労働者の双方に浸透しているきまりをいいます。
ただし、明文規定がないからといって効力が弱いわけではありません。むしろ、労働慣行は正式な労働条件として、就業規則より優先されるケースもあります。
たとえば、就業規則違反にあたる行為が認められても、その行為を黙認し放置するとの労使慣行が成立していれば、その行為が就業規則違反にあたるとして懲戒することができないというケースがあります。
では、具体的にどんなものが労働慣行になるのでしょうか。また、使用者は何に注意すべきでしょうか。本記事で解説していきます。
目次
企業における「労働慣行」
労働慣行とは、明確な定めはないものの、労働者と使用者間の双方の間で定着している事実上のルールのことです。
具体例として、以下のようなものがあります。
- 遅刻、早退があっても欠勤控除をしない
- 所定の割増率以上で残業代を支給している
- 支給要件を満たさない社員にも、手当や福利厚生を与えている
- 所定外の休暇を付与している
労働慣行のような慣習に法的効力を認める規定に、「法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」と定める民法92条があります。
労働慣行の法的効力
労働慣行の法的効力は、以下の3つです。
労働契約としての効力
慣行が長年繰り返されてきた場合、労働契約として成立する可能性があります。これは、明示的な労働契約がなくとも、黙示の合意や事実たる慣習(当事者が慣習によるとの意思を有していること)が認められるためです。
ただし、労働慣行が労働契約となるケースは限定的で、いくつか要件が設けられています(詳しくは次項でご説明します)。
また、労働契約については、以下のページで解説しています。
使用者の権利行使を無効化する効力
労働慣行は事実上のルールとして機能しているため、これに反する使用者の指揮命令は「権利の濫用」にあたり、無効となる可能性があります。
例えば、使用者が労使慣行に反する解雇・配置転換命令を行ったケースで、その解雇、命令が無効となった裁判例があります。
不明確な規定に具体的な意味を持たせる効力
労働契約や就業規則に不明確な部分がある場合、労働慣行によって具体化することができます。
この場合、労働慣行は、当該契約や規則を補填するための解釈基準となります。
労働慣行の成立要件
判例によれば、労働慣行が成立するのは、以下の要件をすべて満たす場合とされています。
- ①同種の行為や事実が、長期にわたり反復・継続して行われていること
期間だけでなく、多くの社員が日常的に行っているという事実も必要です。また、どれほどの年数であれば“長期”となるか明確なきまりはないため、慣行の内容によって個別的に判断されます。 - ②労使双方が明示的に排除していないこと
労働慣行は、黙示の合意や事実たる慣習によって成立します。そのため、当事者がその慣行に反対したり、撤廃を求めたりしている場合、労働慣行とは認められません。 - ③その慣行が労使双方規範意識により支えられ、特に使用者側における労働条件の決定権をもつ者が、規範意識を有するに至っていること
規範意識とは、「そのルールに従わなければならない」という考えです。また、労働条件の決定権者とは、就業規則の作成・変更について判断する者を指すのが一般的です。
つまり、職場の上長や管理者ではなく、労働条件の決定権を有する者が、慣行を黙認・実行している必要があります。
このように、ある慣行が長期間行われているというだけでは、労使慣行が成立しているといえず、労働慣行が成立するケースは限定的といえるでしょう。
また、特定の部署で一時的に導入している制度や、「臨時的」「暫定的」といった文言が含まれる制度は、労働慣行にあたらないのが基本です。
就業規則との関係性
労働慣行が成立している場合、就業規則の規定よりも労働慣行が優先されるのが一般的です。
例えば、就業規則では有給休暇の事前申請を義務付けているものの、実際は当日申請も黙認しているケースです。この場合、使用者は、就業規則違反を理由に当日申請を拒否するのは難しいといえます。
なお、就業規則の明文と実際の取扱い(慣行)に相違がある場合には、労働慣行に合わせて就業規則を変更するという対応が必要と考えられます。明文のルールと事実上の取扱いの2つに相違があると、就業規則を遵守する者と労働慣行に従う者で認識に差が生まれ、労働トラブルが起こりやすくなるためです。
就業規則変更の流れやポイントは、以下のページでご確認ください。
これに対し、慣行によって緩んでしまったルールを改めて引き締めたいという場合もあるものと思われます。この点については後述します。
慣行による賞与・退職金の支給
賞与や退職金など金銭的な問題についても、労使慣行が適用されます。つまり、就業規則に賞与・退職金に関する規定がなくても、それまで当然に支払われてきた場合、使用者が一方的に打ち切ることはできません。
ただし、一部の労働者にしか支給されていなかったり、支給基準がバラバラだったりする場合、労使慣行とは認められない可能性があります。
また、賞与の支給要件が曖昧なケースもあります。例えば、支給日の在籍が求められていない場合、支給日直前に退職した者も請求できるのかが問題となります。
裁判例では、支給日に在籍していた者だけが賞与を得ていたという慣行を踏まえ、退職者に請求権はないと判断されたものがあります。
賞与・退職金の基本ルールについて知りたい方は、以下のページをご覧ください。
労働慣行の改定・廃止
慣行によって緩んでしまったルールを改めて引き締めたいという場合、会社として何か手立てはあるでしょうか。
結論としては、労使慣行も改定、廃止ができる余地があります。ただし、以下のような適切な手続きを踏む必要があります。
就業規則を変更する場合
就業規則で明文化することにより、現行の労働慣行を改廃できる可能性があります。
例えば、始業時間の認識について考えてみます。労働慣行では、「タイムカードを押したとき」が始業時間とされているところ、就業規則で「すぐに業務を開始できる状態」と定めることで、労働慣行を廃止することが可能です。
ただし、労働者にとって著しく不利な変更となる場合、一定の条件があるため注意が必要です(詳しくは次項で解説します)。
明示の意思表示による改廃
就業規則の変更による改廃がなじまない場合、労働者への告知・宣言によって行うことも可能です。
例えば、遅刻の場合に当該時間分を給料から控除する旨を就業規則に定めているのに、遅刻を黙認して控除をしないという慣行が成立している場合は、「今後はこれまでの慣行を改め、就業規則を厳格に適用する」旨を会社として宣言し、今後は就業規則どおりの運用を行うという対応が考えられます。
このように、労働慣行そのものを否定したり、新たな取扱方法を提示したりして、労働慣行の改廃を告知するのが良いでしょう。
異なる慣行の成立による改廃
新たな労働慣行が成立した場合、それまでの慣行は効力を失います。よって、書面上の手続きや労働者への告知は必要ありません。
労働者の黙示の意思表示による改廃
労働慣行の要件には、「黙示の合意」も含まれます。そのため、労働慣行の改廃について労働者から異議が出なかった場合、そのまま改廃が認められる場合もあります。
労使合意による改廃
労働者と直接話し合い、改廃を決定する方法です。具体的には、労働組合と労働協約を締結する、又は労働者代表の同意を得る方法が一般的です。
労働慣行の不利益変更
労働慣行は事実上のルールに一定の法的意義が認められるというものですので、使用者側が一方的に改廃しても、これが認められないというリスクがあります。
特に、労働慣行を労働者にとって不利な内容にする場合、個別に説明のうえ同意を得る必要があります(労働条件の不利益変更、労働契約法8条)。
このとき、突然変更すると“不利益感”が大きいので、一定の猶予期間を設けることが有効な場合があります。
また、就業規則の変更によって労働慣行を改廃する場合、以下の要素を踏まえ、労働慣行を改定・廃止することが合理的であることが主張できなければなりません。
- 労働者が受ける不利益の程度
- 労働条件変更の必要性
- 変更後の就業規則の相当性
- 労働者との交渉の経緯
- その他就業規則の変更に係る事情
労働条件の不利益変更については、以下のページでも詳しく解説しています。
強行法規違反について
労働慣行の成立要件を満たしても、強行法規に違反していれば効力はありません。
強行法規とは、当事者の意思に関係なく、強制的に適用される規定のことです。労働者や消費者など弱い立場にある者を保護するために設けられています。
強行法規の代表例は、労働基準法や公序良俗(民法90条)です。そのため、労働基準法や公序良俗に違反する慣行(残業代を支払わない、有給休暇を取得させないなど)は認められず、無効となります。
強行法規の種類や内容について詳しく知りたい方は、以下のページをご覧ください。
企業の様々な人事・労務問題は弁護士へ
企業側人事労務に関するご相談 初回1時間 来所・zoom相談無料※
企業側人事労務に関するご相談 来所・zoom相談無料(初回1時間)
会社・経営者側専門となりますので労働者側のご相談は受付けておりません
受付時間:平日 9:00~19:00 / 土日祝 9:00~18:00
平日 9:00~19:00 / 土日祝 9:00~18:00
※電話相談の場合:1時間10,000円(税込11,000円) ※1時間以降は30分毎に5,000円(税込5,500円)の有料相談になります。 ※30分未満の延長でも5,000円(税込5,500円)が発生いたします。 ※相談内容によっては有料相談となる場合があります。 ※無断キャンセルされた場合、次回の相談料:1時間10,000円(税込11,000円)
この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある