Ⅰ 事案の概要
Y社の従業員であったX(以下、「X」といいます。)が、平成26年7月2日から平成28年8月31日まで時間外労働等を行ったと主張して、Y社に対し、割増賃金、付加金及び遅延損害金の支払いを求めました。
一方でY社は、Xに対し、XがY社に在職中である平成24年4月25日から平成27年8月19日までに聴講したセミナーの受講料等について、Y社との間で、平成24年3月11日、受講から2年以内にY社を退職した場合にはY社にこれを支払う旨を合意したことから、受講料等及び遅延損害金の支払いを求めました。
XがY社に未払残業代請求を、Y社がXに受講料等の返還請求を、相互に行っているという状況でした。
Ⅱ 前提となる事実関係
1 未払残業代請求事件について
⑴Xは、平成23年8月11日、Y社との間で労働契約を締結し、平成28年10月2日に退職するまで、Y社の従業員でした。
⑵Y社は、就業規則において、毎月1日を起算日とする1か月単位の変形労働時間制をとること、所定労働時間は1か月を平均して1週間40時間とすること、その所定労働時間、所定労働日ごとの始業及び終業時間は事前に作成する稼働計画表により通知されることが定められていました。
⑶Y社の各店舗の店長は、店舗の全従業員分について、前月末ころ、翌月分の稼働計画表を掲示していました。同計画表には、当月の各日における出勤日と公休日の区別、出勤日について出社時間、退社時間、休憩時間が具体的に記載されていました。そして、これにより設定された労働時間の合計は、1か月の所定労働時間に、あらかじめ30時間が加算されたものでした。
⑷Y社では、従業員が、店舗に設置された共有パソコンの勤怠管理システムに自分のIDでログインして勤務時間管理のページに入り、「出社」、「退社」、「休憩開始」、「休憩終了」のボタンを押して打刻することで、労働時間管理が行われていました。なお、各従業員が打刻した勤務時間は、店長が後に修正することができました。
2 受講料等返還請求事件について
⑴Y社の親会社である訴外Z社は、研修システムを構築しており、その社員及び関連会社の社員を対象とするセミナー(以下、「本件セミナー」といいます。)を開催していました。Y社の社員も本件セミナーに参加することがありました。
⑵Xは、Y社宛の平成24年3月11日付「教育セミナー受講誓約書」(以下、「本件誓約書」といいます。)を作成していました。本件誓約書には、本件セミナーを受講するにあたって、「教育セミナーを受講期間中もしくは受講終了後2年以内に退社した場合は、会社が負担した全ての費用を全額返納します」との記載がありました。
⑶Xは、平成24年4月25日から平成27年8月19日までの期間に、19回の本件セミナーに参加しました(欠席したものの宿泊費を要したものが別に1回あります。)。
Ⅲ 判決のポイント
1 1か月単位の変形労働時間制の適用の有無
変形労働時間制が有効であるためには、変形期間である1か月の平均労働時間が1週間あたり40時間以内でなければなりません(労基法32条の2第1項、32条1項)。ところが、Y社の稼働計画表では、Xの労働時間は、1か月の所定労働時間にあらかじめ30時間が加算されて定められていました。そのため、1か月の平均労働時間が1週間あたり40時間以内でなければならないとする法の定めを満たさず、Y社の定める変形労働時間制は無効であると判断しました。
2 セミナー受講料について
本件セミナーの受講については、Xが上司から正社員になるための要件であるため受講するよう言われており、受講に合わせてシフトを変更していたことからすると、事実上強制されていたものであるといえるため、たとえ事前のメールで「自由参加です」と案内されていたとしても、労働時間と認められ、その受講料等は本来的にY社が負担すべきものと考えられること、その内容に汎用性を見出し難いから他の職に移ったとしても本件セミナーでの経験を活かせるとまでは考えられず、セミナー受講料等についての合意(以下、「本件合意」といいます。)は従業員の雇用契約から離れる自由を制限するものと言わざるを得ないことなどから、本件合意は、実質的に労基法16条にいう違約金の定めであるというべきであり、無効であると判断しました。そのため、Y社の請求は認められませんでした。
Ⅳ 本事例からみる実務における留意事項
1 労基法32条の2は、労使協定または就業規則等により、変形期間を1か月以内とし、変形期間を平均して1週間あたりの労働時間が40時間を超えない範囲内で、変形期間における各日、各週の所定労働時間を特定することを要件に、1か月単位の変形労働時間制を採用できることとしています。
労基法が定める要件を全て満たしていなければ1か月単位の変形労働時間制は適用されず、労基法32条1項により、1週40時間を超える部分は全て時間外労働に該当し、割増賃金の支払いが必要となりますので注意が必要です。
実務的には、各日、各週の労働時間を全て就業規則等で定めておくことは現実的に困難です。そこで、行政通達(昭63・3・14基発150号)において、「業務の実態から月ごとに勤務割を作成する必要がある場合には、就業規則において各直勤務の始業終業時刻、各直勤務の組合せの考え方、勤務割表の作成手続及びその周知方法等を定めておき、それにしたがって各日ごとの勤務割は、変形期間の開始前までに具体的に特定することで足りる」とされています。1か月単位の変形労働時間制を採用している企業は、この行政通達を参照して、変形期間の開始前までに、その期間の勤務割表を周知しているのが通常です。
本判決の事例では、あらかじめ30時間を追加したシフトとしていたことから変形労働時間性の適用が否定されました。なお、変形労働時間制だからといって、時間外労働が一切許されないというわけではありません。あらかじめ定めた勤務割表を超えて労働する必要があったときには、当該超えた時間などが時間外労働になるのであって、時間外労働をしたことを理由に変形労働時間制が適用できなくなるわけではありません。
2 本件合意について、本判決は労基法16条違反であり無効であるとしています。本件のような研修費用等の返還合意は、企業において広く行われていますが、社員留学制度を利用し帰国した2年3か月後に退職した被告に対する留学費用返還請求について、労基法16条違反には該当しないとして、会社の請求が認められたというケースもあります。
裁判例の傾向からは、研修・留学が事実上強制されたものであったり、汎用性が低い内容である場合には、労基法16条違反として費用の返還合意は無効であるとの判断がなされる可能性が高く、汎用性が高い海外の大学への留学などで、あらかじめ留学費用の負担が貸付であることや免除の条件が明確にされている方が有効になりやすいと考えられます。
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