賃金の引き上げ「ベースアップ」の考え方

監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
ベースアップとは、労働者の給与水準を一律で上げる制度のことです。給与の引上げは労働者にも魅力的であり、モチベーションアップや生産性向上など様々な効果が期待できます。
ただし、安易なベースアップはかえって経営を悪化させたり、思わぬ労働トラブルを招いたりすることがあるため注意が必要です。
メリットやデメリットを知ったうえで、ベースアップを導入するか慎重に判断する必要があるでしょう。
本記事では、ベースアップの概要やその他昇給制度との違い、ベースアップの効果などをわかりやすく解説していきます。ぜひ参考になさってください。
目次
ベースアップとは
ベースアップ(ベア)とは、労働者の基本給の水準を上げることをいいます。また、個人の年齢や役職、勤続年数などに関係なく、全労働者の水準を“一律で”上げるのが特徴です。
例えば、「3%のベースアップ」であれば、全員の基本給が3%上がることになります。
ベースアップは会社の経営状況によるため、業績がアップしたタイミングで実施されることが多いです。
また、具体的な割増率については、労働組合と交渉したうえで決定する必要があります。
基本給を含む「賃金の構成」については、以下のページをご覧ください。
「定期昇給」との違い
定期昇給とは、会社が決めた特定の時期に給与額を上げる制度です。年1回(4月)又は年2回(4月・10月)に実施されるケースが多くなっています。
また、ベースアップとは違い、個人の社歴や能力、成果に基づいて昇給額を決定します。そのため、昇給額には個人差があり、勤続年数が長くなるほど昇給率もアップする傾向があります。
ただし、定期昇給は「昇給する可能性がある」という制度なので、会社の業績や経営状況次第で昇給させない選択を取ることも可能です。
昇給制度には、定期昇給以外にも様々なものがあります。詳しくは以下のページをご覧ください。
ベースアップの法的義務
会社が昇給を行う法的義務はありません。そのため、「ベースアップしない」という規定を作っても違法にはなりません。
ただし、就業規則では必ず“賃金の昇給に関する事項”を定める必要があるため、定期昇給の有無や時期については記載しなければなりません。
もっとも、「会社の業績などやむを得ない場合は昇給しない」と定めることも可能です。この場合、昇給しなくても違法ではありませんが、労働者の理解を得るため十分な説明を行うことが重要です。
最低賃金法におけるベースアップの必要性
最低賃金とは、使用者が労働者に支払わなければならない“最低限の賃金額”を定めた制度です。
法律で定められた制度で、最低賃金以上の賃金を支払わない使用者には罰則が科せられます。
また、最低賃金に満たない賃金を支払っていた場合、最低賃金との差額を支給しなければなりません。
違法行為を避けるためにも、毎年見直されている最低賃金に合わせ、会社の賃金を引き上げる必要があります。
最低賃金についての詳細は、下記のページをご覧ください。
ベースアップ実施による効果
ベースアップのメリットは、以下のような点です。
- 労働者のモチベーションが上がる
賃金アップの機会があれば、労働者の意欲や生産性も向上するでしょう。また、会社の業績がベースアップに反映されるので、「今後も会社に貢献しよう」という気持ちが高まります。 - 人材の確保につながる
求人サイトなどに「ベースアップあり」と記載すれば、会社の大きなアピールポイントになるでしょう。応募者が増え、優秀な人材を獲得できる可能性が高くなります。
一方、一律に給与水準を上げることで、人件費が増えるというデメリットもあります。昇給率を決める際は、慎重に判断するようにしましょう。
ベースアップの平均昇給率
大企業 | 中小企業 | |
---|---|---|
2018年 | 2.54% | 1.99% |
2019年 | 2.12% | 1.87% |
2020年 | 2.12% | 1.93% |
2021年 | 1.72% | 1.66% |
2018年については、政府が「3%の賃上げ実現を目指す」と表明したこともあり、過去最高の昇給率を達成しました。
2019年も昇給率が著しく低下したわけではありませんが、景気の低迷やデフレにより、賃上げを拒否する会社も多くなっています。
また、2020年からは新型コロナウイルスの影響が目立ち始めます。
4月の統計のため、2020年に大幅な低下は見られませんが、年末の賞与カットなど大きな影響があったと考えられます。
この点、2021年は新型コロナウイルスの蔓延による打撃が大きく、昇給率も大幅に低下しています。
賃金引上げ(ベースアップ)の導入方法
ベースアップを導入する場合、就業規則や労働協約の変更が必要です。
具体的には、賃金表の改訂を行うことになります。賃金表とは、勤続年数や等級ごとの賃金額を定めた表のことで、「1級〇〇円、勤続5年以上○○円」などと書かれています。
この賃金表に、会社で決定した定率(昇給率)または定額(昇給額)を反映し、ベースアップ後の基本給を記載しましょう。
なお、定率にした場合、高賃金の人ほど昇給幅も大きくなります。一方、定額にすると、低賃金の人ほど昇給割合が高くなることになります。
また、就業規則や労働協約を変更するには、過半数労働組合または過半数代表者労働者の同意を得て、所轄の労働基準監督へ届け出る必要があります。
ベースアップは全労働者に一律に適用されるので、労働者から個別に同意を得る必要はありません。ただし、変更後の内容は必ず労働者に周知しましょう。
ベースアップの計算方法
ベースアップの金額は、以下の式で算出できます。
【昇給額=基本給×昇給率】
例えば、基本給が30万円、昇給率が2%のケースです。
【昇給額=30万円×0.02=6,000円】ですので、ベースアップ後の基本給は30万6000円となります。
ベースアップを実施する際の注意点
一度ベースアップを行うと、簡単に戻すことはできません。そのため、ベースアップを実施するかは慎重に判断する必要があります。
例えば、ベースアップ後に会社の業績が悪化した場合、ベースダウン(賃金の引下げ)を検討しなければなりません。
しかし、ベースダウンは労働条件の不利益変更にあたるため、基本的に労働者全員から個別に同意を得ることが必要です(労働契約法9条)。
労働条件の不利益変更とは、賃金などの労働条件を労働者にとって不利な内容に変更することをいいます。労働者へのダメージが大きいため、会社が一方的に行うことは禁止されています。
ただし、「労働者が受ける不利益の程度」や「変更の必要性」などを踏まえ、ベースダウンが合理的といえる場合、就業規則の変更によって不利益変更を行える可能性があります(労働契約法10条)。
賃下げや不利益変更については、以下のページでさらに詳しく解説しています。
新規採用者に対するベースアップ
新卒採用者の初任給を上げることは、人材獲得のために効果的です。
また、新卒者の初任給のみベースアップすることで、固定費用の増加を抑えることができます。
ただし、“新卒者の給与”が“既存の社員の給与”を上回らないよう配慮する必要があります。
新卒者の給与の方が高額でも違法性はありませんが、既存の社員は不満を抱くでしょう。抗議や離職する社員が増え、結局人手不足に陥るおそれもあります。
そのため、新卒採用者のベースアップを行う場合、社員への説明や代替措置など十分な配慮が必要です。
ベースアップの要求が行われる「春闘」とは
「春闘」とは、各企業の労働組合が労働条件の改善(ベースアップなど)を要求し、使用者と交渉・決定することをいいます。毎年春頃に行われることから、春季闘争(略して「春闘」)と呼ばれています。
春闘で要求する内容は、主に給与や賞与についてです。しかし、金銭にかかわる内容だけでなく、労働環境や働くうえでの条件などが含まれることもあります。
ベースアップの遡及(そきゅう)払いについて
ベースアップを実施する場合、過去の賃金分に遡って支払うことも可能です。また、遡及払いするかどうかは、労使間の合意により決めることができます。
しかし、遡及払いすることで問題が生じるケースもあります。以下で2つのケースに分けて解説していきます。
割増賃金がある場合
ベースアップ後に遡及払いする場合、基本給の差額を支払うほか、割増賃金も差額を支給する必要があります。
遡及はベースアップの妥結時点(当事者が合意した時点)から行うのが一般的ですが、「基本給のみ差額を支払う」という取り決めは認められません。つまり、基本給と割増賃金をセットで遡及払いしなければならないということです。
また、遡及額の支払いは、遅くともその直後の給与支払日に行うのが基本です。
なお、遡及払いした差額については、臨時に支払われた賃金ではなく、各月に支払われたものとして取り扱われます。
そのため、割増賃金だけでなく、社会保険料の算定基礎も変わってくる可能性があります(社会保険料の再計算は、翌月の給与で調整するのが一般的です)。
割増賃金については、以下のページでも解説しています。
退職者への取扱い
遡及払いの対象に退職者を含むかは、労使間の合意によって決めることができます。よって、遡及期間に退職した労働者へ遡及払いしなくても、違法とはなりません。
行政通達でも、ベースアップ後に遡及払いする場合、支給対象を在職者のみとするか、退職者も含むかは当事者の自由であると明記されています(昭和23年12月4日基収第4092号)。
ただし、退職者個人から遡及払いを求めて訴訟を起こされる可能性はあります。
退職時の注意点は、以下のページでも解説しています。
退職者がベースアップの遡及払いを求めた裁判例
【大阪地方裁判所 昭和57年1月29日判決、東大阪市環境保全公社事件】
- 事件の概要
原告2名が公社(被告)を退職後に、被告がベースアップを実施しました。ベースアップは遡及して行われましたが、退職済の原告は遡及払いを受けることができませんでした。
原告は被告に対し、遡及期間中に退職した(在籍していた)ことを理由に、ベースアップによる差額給与の支払いを求め訴訟を起こしました。
- 裁判所の判断
裁判所は、ベースアップに伴う給与規程の変更は、原告が退職したあとに行われたものであると指摘しました。また、遡及期間や差額支給の対象者については、被告側が自由に定めることができると認めました。
その結果、原告が差額給与の支払いを請求する根拠はなく、また、新給与規程が適用されないからといって、原告の在職中における権利を侵害することはないとして、原告の請求を棄却しました。
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この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある