定額残業代制が否定された場合の三重苦

定額残業代制を採用している企業はどれくらいあるでしょう。また、その効果やリスクを正確に把握しているかと問われると、首肯することは難しいのではないでしょうか。
多くの相談を受け、未払賃金の請求に関する企業側の代理人を務めていると、定額残業代が誤解されている、そのリスクが過小評価されていると感じることが多くあります。
定額残業代の効力が否定された企業は、過去の割増賃金を一切支払っていなかったこととなり、当該定額残業代部分が残業代を計算する際の基礎賃金に加えられる結果、賃金単価が跳ね上がり、それに伴って付加金(最大で未払い割増賃金の倍額)の支払を命令されるといった、いわば“三重苦の状況”となってしまうおそれがあります。
ここでは、企業にとって大きな負担となり兼ねない「定額残業代の効力が否定された場合の三重苦」に焦点をあて、概要や対応策等を解説していきます。

定額残業代制の有効性に関する問題点

労働者が法定労働時間を超えて労働(時間外労働)した場合、深夜に労働した場合、休日に労働した場合、いずれにおいても使用者は労働者に対して労働基準法37条で定めた計算方法により、割増賃金を支払う義務があります。

定額残業代制とは、この割増賃金の支払に代えて、定額の手当等として支払う方法、又は、基本給の中に一定額を含めて支払う方法等、残業の有無にかかわらず、あらかじめ割増賃金を一定額、固定して支払う方法をいいます。

このような定額残業代制により、残業の有無にかかわらず、一定額として割増賃金をあらかじめ支払う方法については、判例によって一定の要件を充足する場合には適法と認められていますが、適法な定額残業代制と認められなければ、過重な未払い賃金が発生することになるため、注意しなければなりません。

定額残業代が無効とみなされるとどうなるか?

制度設計や運用を誤ったことにより、定額残業代が無効とみなされた場合、企業は以下の三重苦の状況に追い込まれてしまいます。

割増賃金を一切支払っていないことになる

定額残業代が無効とみなされると、今まで残業代として支払ってきた賃金が残業代ではないことになり、割増賃金を一切支払っていないことになってしまいます。

そうすると、残業代の未払分が相当に高額になるばかりか、経営者側としても、実際に支払った範囲すら残業代として認められないことになり、これを受け入れることは気持ちの面でも大きな心理的抵抗があるでしょう。定額として支払ってきた残業代に加え、別途残業代の支払が必要となると、二重払いのように感じてしまい、心理的負担だけでなく、経済的負担も大きくなると考えられます。

この既払い部分の否定は、時間外労働の消滅時効が3年に延長されたことと相まって、未払い残業代の請求額が高額化する原因となります。

残業代を計算する際の時間単価が跳ね上がる

定額残業代が無効とみなされると、今まで基本給に、定額残業代として支払ってきた賃金額を加えた額が割増賃金の基礎賃金となります。そうすると、1時間当たりの単価が跳ね上がり、結果として未払残業代の合計額も跳ね上がることになります。

一つ目の既払い部分が否定されることに加えて、時間単価が跳ね上がることにより、時には2年分でも1000万円を超えるような、思ってもみないほど高額の未払い残業代を請求されるケースもあります。

こちらでは割増賃金の計算方法について詳しく解説していますので、併せてご覧ください。

付加金の支払いを命じられるおそれがある

付加金とは、労働基準法上、解雇予告手当・休業手当・割増賃金等を支払わない使用者に対し、裁判所が労働者の請求に基づいて、それら未払金に加えて支払を命ずる制裁的な要素をもった金銭をいいます。

この付加金について、労働基準法114条は、未払金と同額の付加金の支払を命ずることができる旨を規定していますから、訴訟で敗訴すると、企業としては、最大で未払残業代の2倍の額の支払を命じられるおそれがあります。

判例からみる定額残業代制の有効性

例えば、「基本給の中に●時間に相当する定額残業代を含む」と定めるような、組込型の定額残業代の有効性について、近時の裁判例に大きな影響をもたらしたと思われるテックジャパン事件の判決(最高裁 平成24年3月8日第一小法廷判決)を紹介します。

事案

派遣労働者である上告人と人材派遣会社である被上告人は、基本給を41万円としたうえで、1ヶ月間の労働時間の合計が180時間を超えた場合にはその超えた時間につき1時間あたり2560円支払うが、月間労働時間が140時間に満たない場合にはその満たない時間につき1時間あたり2920円控除するといった雇用契約を締結しました。

上告人は法定労働時間(1週40時間又は1日8時間)を超える時間外労働をしていたにもかかわらず、1ヶ月の総労働時間が180時間以下の月については、割増賃金の支払がありませんでした。

これに対し上告人が、1ヶ月の総労働時間が180時間以下であっても法定労働時間を超える時間外労働に対しては、割増賃金を支払う義務があると主張し、割増賃金と付加金の支払を求めた事案です。

裁判所の判断(事件番号 裁判年月日・裁判所・裁判種類)

通常の月給制と異なる趣旨に解釈するべき特段の事情がない限り、1ヶ月勤務することの対価として月額41万円の基本給が支払われるという通常の月給制が定められていると解釈されることを前提に、割増賃金の対象となる1ヶ月の時間外労働の時間数は各月の勤務すべき日数の相違等により相当大きく変動し得るものであることから、通常の労働時間の賃金にあたる部分と割増賃金にあたる部分を判別することはできないと判断しました。

結論として、月間180時間以内の労働時間中の時間外労働がされても、基本給が増額されることがない契約内容について、時価外割増賃金を支払い済みとはいえず、労働者(上告人)が月180時間の範囲内外にかかわらず時間外労働をした場合に、使用者(被上告人)が基本給41万円を支払っていたとしても、それとは別に割増賃金を支払う義務を負うものと判示しました。

割増賃金に関する詳しい解説はこちらをご覧ください。

ポイント・解説

定額残業代によって、割増賃金相当額の支払が完了しているといえるか否かについては、基本給部分と割増賃金としての支給額が明確に区別できることが求められてきました(最高裁 平成6年6月13日判決、高知観光事件)。

テックジャパン事件では、月160時間の労働時間を基準として、20時間分の割増賃金を含む(時間数が不足する場合は控除する)旨の合意について、基本給と割増賃金の明確な区別ができているか否かが争点となった結果、月ごとに時間外労働が変動する=基本給と割増賃金の額も月ごとに変動し得ることを前提に、通常の労働時間に対する賃金額と時間外労働時間に対する賃金額が明確に区別されていないと評価しています。このことから、基本給部分と割増賃金が明確な区分が必要であるという過去の判例の基準に照らし、法定の時間外労働手当を支払っていないものと判断しました。合意に基づく定額残業代を支払ってさえいれば、割増賃金の支給が不要になるというわけではないということを示した重要な最高裁判例といえるでしょう。

ところで、この裁判では、補足意見が付けられていて、定額残業代の支給が有効になるための考え方として次の条件をクリアしていることを提示しており、その後の裁判例にも影響を与えました。

  1. 雇用契約上、賃金に一定時間分の残業手当を算入している旨が明確にされていること
  2. 賃金を支給するときに、時間外労働の時間数と残業手当の金額を従業員に明示すること
  3. 一定時間を超えて残業が行われた場合は、別途上乗せして残業手当を支給する旨が明確に示されていること

例えば、毎月の賃金の中にあらかじめ一定時間分(例えば10時間分)の残業手当を算入している場合でも、①基本給と手当として区別しておくこと、②支給時に時間外労働時間数を明示すること(その前提として時間管理を実施しておくこと)、③固定時間(上記の例だと10時間)を超えた場合には時間が割増賃金を支給することが合意されたり、実際に支給されたりしていること等が求められているといえるでしょう。

定額残業代制が認められるための要件とは

上記判例も含め、多くの裁判例が個別事情に基づき定額残業代の有効性を判断していますが、程度の差はあれ、以下のような要素が考慮されているといえます。

  1. 基本賃金の中で通常の労働時間分の賃金部分と割増賃金の部分とが区別できるように仕分けをする(区分可能性)
  2. 割増賃金の部分が、何時間分の時間外労働(及び深夜労働)をカバーするのか(労働基準法37条所定の割増賃金を下回らないことが必要)を明示することが必要(区分の明確性)
  3. そのカバーする時間分を超える時間外労働には、別途、割増賃金を支払うことが必要(超過部分精算の実施)

これらの要素のほか、近年では、時間外労働との対価性が認められることや、公序良俗に反しないこと等も論点となることが増えているため、制度設計の際には、最新の裁判例の状況を補足することが重要です。

定額残業代制についてこちらも参考になると思います。ぜひご覧ください。

定額残業代制の有効性に関するQ&A

定額残業代と認められなかった場合、残業代はどの時点まで遡って支払う必要があるのでしょうか?

労働基準法115条が定めているとおり、未払残業代等の請求権は2年間で消滅時効が経過します。消滅時効は債務者が援用(民法145条)しなければその効果は生じませんが、未払の残業代を請求されれば、会社は2年より古いものは消滅時効を援用するのが通常です。
したがって、残業代は2年前まで遡って支払う義務があるといえると考えられます。
また、民法改正により消滅時効が5年間に統一されたことを踏まえて、短期の消滅時効が定められていた賃金債権についても延長され、2020年4月1日以降に支払時期が到来する賃金債権については、3年間となっているため、今後はさらに注意が必要となります。

労働基準法
(時効)第115条
この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は2年間、この法律の規定による退職手当の請求権は5年間行わない場合においては、時効によって消滅する。

裁判で定額残業代が無効となった場合、付加金は必ず支払わなければならないのでしょうか?

使用者が、解雇の際の予告手当や休業手当、時間外・休日・深夜労働の割増賃金の支払義務に違反した場合又は年次有給休暇中の賃金を支払わなかった場合には、裁判所は、労働者の請求により、それらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命じることができます(労働基準法114条)。
このように付加金支払は裁判所の裁量的命令として規定されているので、付加金支払義務は、使用者が労基法に違反して上記の金員を支払わないことによって当然に発生するものではなく、裁判所が支払を命じ、その裁判が確定して初めて発生します。
実際には、未払の原因となった出来事の内容、未払が生じた際の使用者の認識、未払行為の悪質性等(例えば、わざと支払っていなかったのか、理解不足であったのか、計算ミスであったのか等)を加味して判断されることが多いといえるでしょう。

付加金が加算されるか否かの裁判所の判断要素にはどのようなものがありますか?

付加金の支払を命じるべきか否か、及びその額について、裁判所は、使用者による労基法違反の程度・態様、労働者の不利益の性質・内容等諸般の事情を考慮して支払義務の存否及び額を決定すべきものとされています(大阪地方裁判所 平成13年10月19日判決参照)。
実際には、未払の原因となった出来事の内容、未払が生じた際の使用者の認識、未払行為の悪質性等(例えば、わざと支払っていなかったのか、理解不足であったのか、計算ミスであったのか等)を加味して判断されることが多いですが、付加金の支払を命じられるのが当然というわけではありません。

定額残業代制は適切な運用によって、労働者に理解してもらうことが必要です。人事労務に詳しい弁護士にお任せください。

使用者側として最も重要なのは、訴訟前に、当該会社における定額残業代制度についての要件を十分意識して、以下のような事前の対策を万全にしておくことが重要です。

  1. 支払われる給与のうち、割増賃金部分に相当する手当ないし部分を明確にする(区分可能性の充足)
  2. ①で明確にしたものを就業規則に明示する(給与規程)
  3. ①で明確にしたものを雇用契約書等に明示する(区分の明確性の確保)
    ※②、③について、当然のことではありますが、定額残業代でカバーされている時間外労働等を超える労働があった場合には、その分の割増賃金は別途支払われる旨(超過部分の精算実施)も明示しておくと良いでしょう。
  4. 賃金台帳に定額残業代として計算された金額を明確にする(客観的な証拠の確保)

定額残業代の効力が否定されたときのリスクの大きさを踏まえると、事前に万全の対策を用意できないのであれば、定額残業代を積極的に導入するべきではありません。

また、これまで定額残業代制度をとっていない企業において、これを導入する場合には、一般的に基本給部分を減額する形をとることが多いと思われます。しかしながら、賃金の減額は、結果として、在籍している従業員にとって、労働条件の不利益な変更となるため、原則として個々に合意を得る必要があります。仮に、就業規則の変更による場合には、不利益変更が許される要件(変更の合理性)を具備することが必要となります。

弁護士法人ALGでは、多数の企業に対する就業規則診断を行った経験があり、個々の就業規則につき、各チェック項目について診断し、点数評価することで現代型労務トラブルに対応できているかどうかの目安を判断することが可能ですので、お気軽にご相談ください。

また、就業規則の作成・改定についても、経験豊富な弁護士が多数在籍していますので、就業規則の見直し等をお考えの際はぜひご相談ください。

執筆弁護士

弁護士 奈良 亜希乃
弁護士法人ALG&Associates 弁護士奈良 亜希乃

この記事の監修

執行役員 弁護士 家永 勲
弁護士法人ALG&Associates 執行役員弁護士家永 勲(東京弁護士会)

執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。

近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある

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