Ⅰ 事案の概要
本事例は、医療法人社団Yが開設する病院の研修医として勤務していたXが、Yに対して、雇用契約及び労働基準法37条1項および同条4項に基づく未払割増賃金及びこれに伴う付加金(労働基準法114条)、上級医によるパワーハラスメントのために適応障害を発症し退職を余儀なくされたとして安全配慮義務違反による損害賠償をそれぞれ求めた事案です。
Ⅱ 争点
本事例の争点は多岐に渡りますが、XY間で締結された雇用契約において、臨時日・当直および時間外手当、早出、呼出、待機、手当等の各手当が本給に含まれるとの合意がなされているのか(争点1)、病院外でのオンコール待機時間は「労働時間」(労働基準法32条)に該当するのか(争点2)という点が大きく争われました。本稿では二つの争点について以下に解説しています。
Ⅲ 判決のポイント
1 争点1
⑴ 当事者の主張
XはXY間の雇用契約には臨時日・当直及び時間外手当、早出、呼出、待機、手術手当等の手当は本給に含まれる旨の約定があるが、時間外労働の時間数や金額が明示されておらず、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分が明確に区分されていたとはいえないから、その約定は無効であると主張しました。
他方でYは、XY間の雇用契約において、固定残業代として残業時間に相当する金額を本給に上乗せする旨の合意をしていたのであるから、未払割増賃金請求の一部は否定されるべきと主張しました。
⑵ 裁判所の判断
本判決はXの賃金単価を確定するに当たり、臨時日・当直および時間外手当、早出、呼出、待機、手術手当等の各手当については本給に含まれるとの合意がされたとしつつも、固定残業代額の明示はなかったこと、また、YがXに対し、本件契約にかかる基本給のうちの一定額を固定残業代として支払う旨の説明をした証拠もないことから、「月額基本給のうち時間外労働に対する対価がいくらであるかを判別できたとはいえないから、上記合意は無効である」と判断しました。その結果、本件における割増賃金の基礎賃金は月額76万9000円とされました。
2 争点2
⑴ 当事者の主張
Xは、オンコール当番医は終業時刻後から翌日の始業時刻まで、本件病院外にいる場合でも自宅等において形成外科領域の患者に関する本件病院からの問合せ等に即座に対応できるよう待機し、電話での対応ができない場合は出勤することが義務付けられていたため、オンコール当番医は、その間、労働からの解放が保障されていたとはいえず、本件病院外でのオンコール待機時間はすべて労働時間に該当すると主張しました。
他方でYは、オンコール待機時間はあくまで勤務時間外の対応であるため、労働時間には該当しないと主張しました。
⑵ 裁判所の判断
本判決は、オンコール当番医の病院外の待機時間については、緊急性の比較的高い業務に限り短時間の対応が求められていたに過ぎないものであり、Xについては、これを求められた頻度もさほど多くなく、本件病院外でのオンコール待機時間は、いつ着信があるかわからない点等において精神的な緊張を与えるほか、待機場所がある程度制約されていたとはいえるものの、労働からの解放が保障されていなかったとまで評価することはできないとの理由で、Xの病院外でのオンコール待機時間中は、Yの指揮命令下に置かれていたとはいえず、労働時間に該当しないと判断しました。なお、オンコールが現実化して、電話対応や病院へ出勤を要したときは、その時間帯について労働時間として認定しました。
Ⅳ 本事例から見る実務における留意事項
1 争点1
本事例と類似する医師の固定残業代が問題となった過去の裁判例(最判平29.7.7医療法人社団康心会事件)では、雇用契約において時間外労働等に対する割増賃金を年俸に含める旨の合意がされていたとしても、当該年俸のうち時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分が明らかにされておらず、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができないという事情の下では、当該年俸の支払いにより時間外労働等に対する割増賃金が支払われたということはできないと判断しています。
上記のような考え方は、固定残業代に関する一般的な考え方として明確区分性を求めるものと同様であり、本判決にも踏襲されており、各手当を含んだ趣旨として年俸制を採用していたXY間の雇用契約においても、通常の賃金部分と割増賃金部分との判別ができなかったため、割増賃金部分を支払ったことにはできないとの結論になりました。月額の賃金が相当程度高い場合であっても、明確区分性を求めるという判例の考え方は変わらないということです。
本事例のように、各手当をあらかじめ本給に組み込んでおくこと自体は珍しくありません。使用者として、このようなトラブルを避けるためには、各手当(とくに固定残業代)が本給に含まれていることについて、就業規則、雇用契約書、労働条件通知書、賃金規程等にあらかじめ明示する必要があり、本給のうち、各手当の金額が具体的にいくらになっているのか、それが何時間分の残業代に相当するのかを容易に判別可能な状態にしておく必要があるでしょう。
2 争点2
労働基準法上の「労働時間」(労働基準法32条)とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間を指しますが、具体的に指揮命令下にあったか否かは契約内容等の規定によって決すべきではなく、個々の客観的な事情によって判断されます。そして、労働時間と判別し難い時間であっても(例えば、就労前の準備時間や就労中の仮眠時間等)、職務内容、時間的場所的拘束性、使用者からの指示等の事情を考慮して、労働からの解放が保障されていないときは、いわゆる手待時間と呼ばれており、具体的な労働に従事していない時間も含めて労働時間に該当すると考えられています(最判平12.3.9、最判平14.2.28大星ビル管理事件)。
本事例では、オンコール当番は形成外科医以外が当直のときだけのものであり、待機場所の制限はなかったことなどを前提に、判決中では「オンコール当番は…緊急性の比較的高い対応のみが求められていた。」「救急隊の応答を踏まえて…上級医に相談した上で救急隊に受け入れる旨の回答をするなどにとどまる…いずれも長時間の対応を要するものではない。」「本件病院外におけるオンコール待機中の架電は…平日のオンコール当番4回のうち架電がないことが1回程度あり、それ以外は当番1回につき1回以上の架電があり、日曜・祝日のオンコール当番時は、本件病院外で毎度複数回、架電がある…にとどまるから、オンコール当番時間の長さに比して電話対応の回数が多いとはいえない。」「本件病院外での待機中の行動等について…特段の指示をしていたわけではなく、原告は、本件病院外で、食事や入浴、睡眠を取ることもできた…。」「本件病院外でのオンコール待機時間中の原告の生活状況は、オンコール当番日でない本件病院外での私生活上の自由時間の過ごし方と大きく異なるものであったとは認められない。」と指摘しており、その頻度や対応時間の基本的な短さ、時間の過ごし方に制限がなかったことなどを踏まえて、すべてのオンコール待機時間を労働時間とまでは認めない判断となりました。
本事例で留意しなければならないのは、裁判所がオンコール待機時間の労働時間該当性を一概に否定しているわけではない点です。訪問看護師のオンコール待機時間が労働時間に該当すると判断された事例もあり(横浜地判令3.2.18アルデバラン事件)、オンコール待機時間はその個々の事情に応じて、労働時間該当性の判断がなされることに留意する必要があるでしょう。
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