Ⅰ 事案の概要
本件は、自動車関連商品の卸売業等を営む会社に長年勤務していた従業員が、懲戒解雇は無効であるとして、労働契約上の地位確認、賃金・賞与、休業手当、未払賃金等を請求した事案です。
従業員は平成5年4月に入社し、営業職、営業所長として勤務していましたが、工事請負契約に関する報告不足、新規取引先との契約書未作成・保証金未収受、勤務日に私的旅行へ行ったこと、過去の営業所で部下による横領(合計300万円超)が発生したこと等(以下「本件非違行為」といいます。)を理由に、会社から諭旨解雇処分を受けました。その後、退職届を提出しなかったため、会社は懲戒解雇を通知しました。
もっとも、従業員は諭旨解雇処分を受けるよりも前に、一度退職願を提出していましたが、諭旨解雇処分が行われる前にこれを撤回していたという経緯があります。加えて、諭旨解雇処分後には自ら会社を設立して代表取締役に就任してたという事情もあります。
Ⅱ 争点
本件の主な争点は、①諭旨解雇処分前に行われた退職願の提出が「辞職」か合意解約の申込みか、②退職合意の成否及び撤回の効力、③懲戒解雇の有効性、④懲戒解雇が無効である場合の賃金・賞与請求の可否、⑤労基法26条に基づく休業手当請求の可否、⑥面談時の代表取締役の言動がパワーハラスメントとして不法行為に当たるか、という点です。
特に、懲戒解雇が無効とされても、直ちに解雇後の賃金・休業手当まで認められるとは限らないとされた点が実務上重要です。
Ⅲ 判決のポイント
裁判所は、まず、従業員が提出した退職願について、労働者の一方的意思表示による「辞職」ではなく、会社との合意により労働契約を将来に向けて解消するための「合意解約の申込み」であると判断しました。
その理由として、退職願は、会社から本件非違行為について事情聴取を受け、顛末書や進退伺書の提出を求められた後に提出されたものであり、当時、従業員に具体的な転職や独立の予定があったとはいえず、記載内容も被控訴人の自筆で「この度、一身上の都合により、来たる令和二年三月三十一日をもちまして退職いたしたく、ここにお願い申し上げます。」という内容で、労働契約の解消を強く求める趣旨とはいえないことが指摘されています。
また、会社は退職願を正式に受理した旨を伝えたものの、その後、従業員が、懲戒手続に前置された弁明の機会の付与において「私は、会社が諭旨解雇にすることには異議を述べます。このような事態に追い込まれたことに不服があり、私は、3月末までに退職する旨の意向を示しておりましたがこれも撤回します。」と記載した弁明書を提出して退職の意思表示を撤回し、会社自身も退職予定日後の日付で諭旨解雇処分及び懲戒解雇を通知していました。裁判所は、これは労働契約の存続を前提とする対応であるとして、当事者双方が退職合意に係る意思表示を撤回した結果、退職合意の効果が生じないことになったと判断しました。
次に、懲戒解雇について、裁判所は、工事請負契約に関する報告・資料提出の不足、新規取引先との契約書未作成や保証金未収受、未収金発生後の取引継続、私的旅行による無断欠勤に当たり得る事情、営業所長時代の監督不十分等について、一定の懲戒事由該当性を認めました。
しかし、これらはいずれも就業規則上、出勤停止又は降職に相当する事由(会社の諸規程の違反)にとどまり、諭旨解雇又は懲戒解雇に相当する事由(会社の諸規程の著しい違反、故意又は重大な過失による会社への損害等)とはいえないとしました。
また、会社は諭旨解雇処分の前に営業所長から営業課長への異動(降格)を行っており、その際にも一部の問題行為を考慮していたこと等から、懲戒解雇は重きに失し、社会通念上相当とはいえないとして無効と判断しました。
もっとも、裁判所は、賃金・賞与請求は認めませんでした。従業員は、退職撤回後も起業準備を継続し、会社を設立して代表取締役に就任しており、事業規模や借入れ、役員報酬等を踏まえると、会社に復職して従前の職務に就労する意思及び能力を有していなかったと判断されたためです。
同様に、休業手当についても、就労の意思及び能力がない以上、使用者の責めに帰すべき事由による休業には当たらないとして否定されました。
一方で、面談時に代表取締役が机を叩き、従業員の胸倉をつかみ、「ふざけるな」などと怒声を浴びせ、携帯電話を投げつけた行為は、業務上必要かつ相当な範囲を超えるものとして不法行為に当たり、慰謝料10万円及び弁護士費用1万円の限度で損害賠償請求が認められました。
Ⅳ 本事例からみる実務における留意事項
本事例からは、まず、退職願の取扱いには慎重な判断が必要であることが分かります。従業員から退職願が提出された場合でも、その経緯や文言、従業員の真意によっては、直ちに辞職と評価されるわけではありません。特に、懲戒処分の検討中や事情聴取後に、進退伺いを求めて提出された退職願については、退職の意思が自由かつ確定的なものといえるかを丁寧に確認する必要があります。
また、退職願を受理した後に、退職予定日より後の日付で諭旨解雇処分を通知するなど、労働契約の存続を前提とする対応をとったことにより、退職合意の効力を自ら否定する方向に評価されてしまいました。退職合意で処理するのか、懲戒処分として処理するのかについて、会社として一貫した方針を持つことが重要です。
次に、懲戒解雇については、従業員に複数の問題行為がある場合でも、それだけで当然に有効となるわけではありません。各行為が就業規則上どの懲戒事由に該当するのか、その事由が解雇相当といえるのか、過去の処分歴、人事上の措置、会社に生じた損害の有無・程度、弁明の機会等を総合的に検討する必要があります。
特に、就業規則上、出勤停止や降職に対応する事由と、諭旨解雇・懲戒解雇に対応する事由が区別されている場合には、問題行為がどちらに該当するのかを具体的に整理し、客観的証拠に基づき解雇相当性を説明できる状態にしておく必要があります。
さらに、本件は、懲戒解雇が無効とされても、客観的にみて就労意思を喪失したと評価されるような場合には、解雇後の賃金や休業手当が認められるわけではないことを示しています。労働者が解雇後に独立開業し、客観的に復職する意思・能力を有していないと評価される場合には、これらの請求が否定されることがあります。使用者側としては、解雇後の就労状況、事業活動、役員就任、収入状況等も確認・主張することが考えられます。
最後に、非違行為の調査や懲戒処分の場面であっても、感情的な叱責や身体的接触は許されません。胸倉をつかむ、怒声を浴びせる、物を投げるといった行為は、パワーハラスメントとして不法行為責任を生じさせるリスクがあります。懲戒処分を適正に進めるためにも、面談時の発言・態度・同席者・記録化の方法について、事前にルールを整備しておくことが望まれます。
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