Ⅰ 事案の概要
本件は、うつ病に罹患した従業員に対する普通解雇の有効性が争われた事案です。
メンタルヘルスに不調を来たした従業員の処遇は悩ましいものですが、その一事例としてご紹介いたします。
Xは、私立Y高校の理科教諭として、20年あまりにわたって勤務していましたが、5年ほど前から、うつ病等の精神疾患を理由として休職や病休を繰り返していました。このような中、Xが副担任を勤めていたクラスの担任が学期中途でうつ病を理由に休職したため、Y高校の校長は、Xに対し、以降の同クラス担任への就任を再三にわたって打診しました。Xはこれを拒絶し、「身体症状を伴う抑うつ状態」との病名での診断書を根拠に更なる休職を申請。しかし、Y高校はこれを受理せず、逆に、(1) 長期間にわたる休・欠勤、(2) 業務命令拒否(担任就任依頼の拒絶)、等を理由としてXを解雇しました。
そこでXは、右解雇が無効であるとして、Y高校の教諭たる地位の確認、未払賃金の支払及び慰謝料の支払を求めて訴えを提起しました。
Ⅱ 福岡地裁平成25年6月13日判決
裁判所は次のように述べ、Xの普通解雇が解雇権濫用(労契法16条)にあたるとして、相当性を欠き無効であると結論づけました(確定)。
(1) 解雇事由の該当性
まず、担任就任の打診について、明確な業務命令として担任の職を命じたとまでは認められないとして、業務命令性を明確に否定し、職務命令不服従との主張を退けました。
他方、うつ病による業務の遂行可能性の存否、勤怠不良との評価、その他解雇事由の該当性については明確な判断を示していません(もっとも、後述のとおり本判決が相当性の欠缺を理由に結論を導いていることに照らすと、就業規則中の何らかの解雇事由に該当することは認めていると思われます)。
(2) 相当性の判断
その上で、①YがXのうつ病に配慮して副担任の職務を任せるなど、職務上の負担軽減措置をとっており、YとしてXの病状を認識していたことを前提として、②うつ病を理由に休職した担任の後任としての担任への就任の打診を断ったとしても、それを理由とした解雇は相当性を欠くと判断。③打診を拒否した直後にXが行っていた業務外のPTA活動は、担任職ほどの負荷のかかるものではなく、担任への就任が可能な心身の状態であるにもかかわらずこれを拒否したとはいえないから②の判断を左右するほどのものではないし、④処分の経緯に照らして、学期途中に敢えて解雇処分を行うことは唐突に過ぎ、これも相当性を阻却する事情であると判示しました。
Ⅲ 本判決からみる実務における留意事項
本判決は、うつ病により通常の職務継続が困難となっている従業員の解雇が認められなかった事例です。
本事例で裁判所が重視したのは、XY間でもっと慎重に話し合ったり病状を調べたりした上で処分を決定しても遅くなかったであろうにもかかわらず、それらが尽くされていない段階で解雇に踏み切ったことに合理性は認められないという点であると推察されます。しかしながら、このような事案において、雇用主として従業員にどの程度の配慮を示した経緯があれば解雇が認められるかにつき、明確な基準があるわけではありません。
裁判所による普通解雇の適法性判断は、解雇回避の努力を行ってきたか、代替的措置を十分に講じてきたか、といった観点から、相当性の有無が厳密に検討される傾向にあります。メンタルヘルスの不調を理由とした普通解雇にまつわる事案も近年増加していますが、それのみを理由とした解雇は概して容易には認められていません。うつ病に罹患した従業員の普通解雇が有効と判断された事案としては、東京地裁平成19年6月8日判決がありますが、これは、当該従業員が13年あまりの在籍期間中に腰痛等を理由として休職を繰り返しており、無断欠勤も多かったこと、断続的に5年半程度欠勤期間があったこと、それ以外にも出勤率が65%にすぎない時期があったこと、腰への負担が軽い部署への配転を繰り返してきており、従業員に対して十分な配慮を行ってきたとみられること、等の背景があり、最終的にうつ病の診断が下されたため、これ以上の業務に耐えられないとして解雇がなされたものです。事例判断ですので評価は相対的にならざるを得ませんし、これが解雇権濫用のボーダーラインをなす事案であるともいえませんが、本件との比較においては、単にうつ病等により休みがちであるといった理由での普通解雇が認められないことは明らかであると考えられます。
もっとも、メンタルヘルスの不調は対外的に見えにくい症状であることが多く、どれほどの業務であれば耐えうるのか判断は極めて難しいものです。また、そのような事情により仕事を休む人が増えれば、職場の雰囲気にも悪い影響を及ぼすでしょう。経営判断としての人事権行使のためにも、私傷病休職制度を就業規則に制定し、疾病等により業務に耐えられない状態が永続する場合に同制度を適用することで、円滑な退職を促すことのできる体制を調えておくことが必要であるといえます。
なお、本判決中、担任就任打診の職務命令性が否定されている点も着目すべきポイントです。解雇事由該当性が争点になった場合、これを裏付ける具体的な証拠が存在するか否かは極めて重要なファクターとなり得ます。本件事案では、Xに対して担任就任を打診するにあたり、書面により職務命令であることを明示した辞令等を発していれば、この点について異なる結論となった可能性は十分にあったといえるでしょう。
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