メンタルヘルス問題と使用者の損害賠償責任

弁護士法人ALG 執行役員 弁護士 家永 勲

監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員

労働契約法5条で定められているように、使用者は、労使間の労働契約によって、労働者の生命・身体等の安全を確保し、労働ができるような配慮が必要とされています。さらに、使用者の労働者に対する安全配慮義務が規定されていますが、労働契約法上には安全配慮義務違反に対する罰則はありません。
しかし、民法上の不法行為責任・使用者責任・債務不履行等を理由として、使用者に損害賠償を命じる裁判例が存在します。本記事では、メンタルヘルス問題と使用者の損害賠償責任に関して解説していきます。

目次

労働者のメンタルヘルス問題に伴う企業リスク

メンタルヘルス不調は、「精神および行動の障害に分類される精神障害や自殺だけでなく、ストレスや悩み、不安等、労働者の心身の健康や生活の質に影響を与える可能性がある、精神的かつ行動上の問題を幅広く含むものをいう」と、厚生労働省において定義されています。

業務上による精神的ストレス等により労働者がメンタルヘルス不調を引き起こした場合、使用者側に労働者のメンタルヘルス不調を引き起こした点につき、故意もしくは過失が認められれば、民事上の責任、すなわち損害賠償責任を負う可能性があります。

使用者が配慮すべき安全配慮義務とは?

安全配慮義務とは、使用者が、労使間の労働契約において、労働者の生命・身体等の安全を確保し、労働ができるよう必要な配慮をすることをいいます(労契法5条)。また、同様のことが裁判例においても述べられています(大阪高等裁判所 平成8年11月28日判決)。

雇用契約において、安全配慮義務を直接に規定している例は多くはないでしょうが、規定されておらずとも安全配慮義務は雇用契約に付随しているものと考えられています。

メンタルヘルスについて使用者の配慮義務については、下記のページをご覧ください。

安全配慮義務違反で企業に問われる責任

労働者が使用者に対し、安全配慮義務違反を理由として責任追及をする場合、不法行為責任もしくは債務不履行責任による損害賠償として金銭賠償を請求されることがあります。不法行為責任、債務不履行責任のどちらも民法上の定めによるものですが、差異としては、不法行為責任は使用者と責任を追及する者との間に契約関係がなくても責任追及が可能であるのに対し、債務不履行責任は契約関係が必要となります。また、不法行為責任の時効は3年(人身損害の場合は5年)であるのに対し、債務不履行責任の時効は10年であるという点が挙げられます。

中小企業における取締役に対する責任有無

中小企業では、「取締役が労働者の労務管理を直接行っていた」、「取締役は管理を行えるにもかかわらず必要な措置を怠った」等と労働者から主張され、会社だけではなく取締役個人に対する損害賠償請求(会社法429条1項)がなされることがあります。取締役個人と会社の双方が責任追及された場合に、損害賠償責任が認められれば、取締役と会社は連帯してその責任を負います。連帯して責任を負うとは、取締役個人と会社はそれぞれ全額の支払義務を負うということです。

損害賠償請求の法的根拠と争点

損害賠償請求の法的根拠としては、不法行為もしくは債務不履行が考えられます。どちらの法的構成をとったとしても、争点として想定されるのは、使用者側に安全配慮義務違反があったかどうか(過失の有無)や、因果関係すなわちメンタルヘルスの不調が業務に起因して起こったものかどうかという点が挙げられます。

メンタルヘルスにおける損害賠償については、下記のページをご覧ください。

使用者が賠償責任を負う範囲

損害として挙げられるものとしては、治療費、交通費(通院にかかったガソリン代、電車賃等)、休業損害(治癒までの期間、働くことができずに収入が減少することによる損害)、慰謝料、逸失利益(メンタルヘルス不調がなければ得ることができたであろうと考えられる利益、例として将来的に得られるはずであった収入の減少等)等が挙げられます。これらは、使用者の義務違反行為と労働者の損害との間に相当因果関係が認められれば、使用者が負うべき損害となり得ます。

メンタルヘルス問題と損害賠償請求に関する判例

長時間労働によりうつ病が発生し、自殺に至ったという事案で最高裁判決(電通事件)があります。

事件の概要

新入社員(男性、24歳)であるXは、4月に入社し、6月に部署に配属されてから、長時間労働で深夜の帰宅が続きました。当初は仕事に意欲的な様子でしたが、入社から10ヶ月経った頃から、帰宅しない日が出始め、入社から1年4ヶ月以降、顔色を悪くして「自信がない、眠れない」等と上司に訴えるようになりました。そして、入社からわずか1年5ヶ月後、自殺に至り、遺族が会社に対して損害賠償責任を追及した事案です。

裁判所の判断(事件番号 裁判年月日・裁判所・裁判種類)

【最高裁 平成12年3月24日第二小法廷判決】では、以下のように判旨し、最終的に、会社が遺族に対し1億6800万円を支払うという内容の和解が成立しています。

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働安全衛生法六五条の三は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めるべき旨を定めているが、それは、右のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。これらのことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり…」
引用元:最高裁第二小法廷 平成10年(オ)第217号・平成10年(オ)第218号 損害賠償請求事件 平成12年3月24日

ポイントと解説

裁判における争点は、(1)業務と自殺との間に因果関係が認められるか、(2)会社に安全配慮義務違反があったかといった点が挙げられます。最高裁の判断は、(1)については、うつ病の特徴を述べた上で自殺した労働者の業務と自殺との間に因果関係があるものと認めました。それまでの裁判例は、自殺は本人の自由意思による面もあるとして、因果関係を認めることに慎重でしたが、本判決は、長時間労働→うつ病発症→自殺には一連の連鎖があるとして、因果関係を初めて認めたものとなります。(2)については、「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。」とし、自殺した労働者の上司は、当該労働者が長時間労働に従事しその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるような措置を取らなかったとして、会社の安全配慮義務違反を認めました。

過失相殺や素因減額による減額の主張は認められるか?

メンタルヘルス不調の原因が、労働者の性格等に起因するケースや、労働者にも落ち度が認められるケースでは、損害賠償責任を減額する事由となるかについて、実際の裁判例では減額事由として認めたものもあれば、認めなかったものもあります。前項の電通事件の最高裁判決では、労働者の性格が個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格を賠償額の算定に斟酌すべきではないと判断し、減額を認めませんでした。

メンタルヘルス問題による労使トラブルを予防するには

メンタルヘルス問題による労使間のトラブルを防止するためには、(1)メンタルヘルスケアの教育・研修を施す等、情報共有に努めること、(2)職場環境の把握と改善を促すこと、(3)メンタルヘルス不調者を把握した場合、労働者の個人情報に配慮しつつ、労働者からの相談に応じられる体制を整えておくこと、(4)メンタルヘルス不調者が休業した場合には、職場復帰支援プログラムを策定する等、職場復帰の支援の体制をも整えておくこと等が必要であると考えられます。

メンタルヘルス問題に関するQ&A

うつ病発症による損害賠償で、通院にかかったガソリン代を請求されました。通院交通費も会社が負担するのでしょうか?

損害として認められるのは、労働者のメンタルヘルス不調と損害との間に相当因果関係が認められることが必要です。メンタルヘルス不調により通院が必要となった場合等、メンタルヘルス不調と通院との間に相当因果関係が認められれば、通院にかかった交通費は損害の範囲内とされる可能性が高いものと考えられます。

うつ病により社員が自殺した場合、会社はどのような責任を問われるのでしょうか?

債務不履行もしくは不法行為により損害賠償責任を負う可能性があります。過去の裁判例では、損害の額として、1億6800万円、5400万円等とされたものがあり、個々の事案によって額は異なりますが、いずれも高額な賠償額が認められています。

安全配慮義務違反による慰謝料を、労災保険から支払うことは可能ですか?

労災保険で慰謝料は補填されません。慰謝料を支払う場合は、労働者から不法行為責任もしくは債務不履行責任の追及があった場合、又は使用者とメンタルヘルス不調者との間で慰謝料の支払いを合意した場合となります。

派遣社員のメンタルヘルス問題による賠償責任は、派遣先企業と派遣元企業のどちらが負うのでしょうか?

派遣元・派遣先の両者が責任を負う可能性があります。労働者派遣法や労働基準法等では、派遣元・派遣先のそれぞれに派遣社員の健康管理についての責任が割り振られていますが、共同で行う事項もあり、裁判例上も派遣元・派遣先の双方に責任を認めたものもあります。

メンタルヘルス不調が疑われる社員に対し、精神科への受診を勧めましたが応じてくれませんでした。この場合でも会社は賠償責任を負うのでしょうか?

下記をご参照ください。

メンタルヘルス不調が疑われる社員に対し、精神科への受診を勧めましたが応じてくれませんでした。この場合でも会社は賠償責任を負うのでしょうか?

下記をご参照ください。

上司のパワハラによるうつ病発症で慰謝料を請求されました。パワハラの事実を確認するにはどのような方法がありますか?

下記をご参照ください。

適正なメンタルヘルス対策を講じることで労使トラブルを予防することができます。不明点があれば、まずは弁護士にご相談ください

労働者からメンタルヘルス不調を主張された場合には、起こり得る事態を想定して措置を施すとともに、場合によっては社内環境を見直す必要があるかもしれません。専門的な知識と経験を有する弁護士に対応を依頼することをおすすめします。

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執筆弁護士

シニアアソシエイト 弁護士 田中 真純
弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所シニアアソシエイト 弁護士田中 真純(東京弁護士会)

この記事の監修

執行役員 弁護士 家永 勲
弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)

執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。

近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある

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