Ⅰ 事案の概要
1 Y社の従業員であったXは、睡眠障害やうつ病のため、平成19年7月から病気休暇を取得していました。Xは、平成20年6月に、主治医による「復帰は可能と思われるが、短時間勤務が望ましい」との診断書を提出して、同年7月から1日4時間の短時間勤務で就労を再開しました。
2 Xは、平成20年11月、勤務時間外に、自転車で通行中の女子高校生A(当時)に対して、わいせつ行為(以下、「本件非違行為」といいます。)を行い、平成21年6月に逮捕されました。
XとAとの間では示談金100万円を支払う等の示談が成立したものの、Xは強制わいせつ致傷罪で公訴起訴されました。逮捕時点で少なくとも4社の新聞社で報道され、その後もY社が把握する限りで7社46本の新聞報道、テレビでのニュース放映やインターネット配信もされました。
また、Y社は報道機関からの求めで、謝罪のコメントを出すことを余儀なくされました。
3 Xは、代理人を通じて、自主的に退職すれば、後日懲戒解雇に相当するような事実が明らかになっても、懲戒解雇ではなく自己都合退職になると理解してよいかについてY社に問い合わせを行いました。そして、平成21年7月10日に退職届を提出しました。Y社は、民法627条1項により辞職の意思表示から2週間が経過すれば退職の効力が生ずるとの理解の下、未だにXが勾留され捜査が継続中であるため、本件非違行為の具体的態様はもちろん、Xが本件非違行為を行ったのか否かすら確認できず、辞職の効力発生までの間に懲戒処分を行うことは拙速であり不適切であること、退職後でも懲戒解雇にあたると思料される場合は懲戒処分相当か否かを審査する旨の規定があることから、懲戒処分についての判断を留保した上で辞職を承認することとしました。
4 Xの刑事裁判は、懲役3年保護観察付執行猶予5年の有罪判決が下され、確定しました。
同判決の後、Y社は、Xに対し本件非違行為に関する事実確認を行った上、懲戒審査会の「懲戒解雇相当」との答申を受け、Xに対し、本件非違行為については懲戒解雇相当と決定したとして、退職手当の不支給を通知しました。
5 この対応を不服としたXが、Y社に対して、退職金の支払いを求めて訴訟提起をしました。
第一審(東京地方裁判所平成24年3月30日判決)は、Xの請求のうち、本来の退職金額の45%の限度で支払いを認めることとしました。
本判決は、X、Y社いずれもが第一審判決を不服として控訴(附帯控訴)したことに対して下されたものです。
Ⅱ 東京高等裁判所平成24年9月28日
1 懲戒規程をめぐるY社の判断について
本判決では、Y社は本件非違行為が懲戒解雇又は諭旨解雇に該当しないと認めたとの主張について、
「本件のように、任命責任者が辞職を承認するか否かを判断するまでに事案の審査を了することができなかった場合には、辞職を承認したからといって、懲戒解雇又は諭旨解雇に該当しないと認められたとはいえないことは明らかである。(中略)かえって、控訴人においては、薬物犯罪などによって懲役刑(いずれも執行猶予付き)に処せられた社員を懲戒解雇した実績が複数あることからすれば、被害者のある刑法犯を犯した容疑で勾留中の控訴人について、刑事手続の帰すうを見届けることなく、懲戒解雇又は諭旨解雇にもあたらないと断定したとは考え難く、(中略)控訴人は、懲戒処分についての判断を留保した上で、被控訴人の辞職を承認するとの判断をしたものと認めるのが相当である」
という、Y社の見解を認める判断が示されました。
2 退職金の不支給の範囲について
本判決では、在職期間中の非違行為が判明した場合に退職後でも懲戒解雇又は諭旨解雇にあたるか否か審査をして退職金の支給を制限するという、Y社の退職金不支給規定の判断枠組みについて、
「退職手当は、賃金後払いとしての性格も有しているものであるから、懲戒解雇に相当すると判断されれば、他にいかなる事情があっても、退職金が不支給となるというように、本件不支給規定を全面的に適用することは相当とはいえない。したがって、本件不支給規定によって、退職手当を不支給ないし制限することができるのは、労働者のそれまでの勤労の功労を末梢ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限られるものと解する」
との考え方が示されました。
不支給の範囲については、
「本件非違行為がそれまでの被控訴人の勤続の功労を抹消してしまうほどのものとはいえないけれども、これら被控訴人にとって有利に斟酌すべき事情を考慮したとしても、上記功労を著しく減殺するものとは(ママ)いわざるを得ず、以上のような諸般の事情を総合的に考慮すれば、この減殺の程度は7割と認めるのが相当である」
として、3割の限度で退職金支払いを認める判断が示されました。
Ⅲ 本事例から見る実務における留意事項
1 懲戒規程について
本件ではY社の懲戒規程に「任命責任者は、非違を行った社員から辞職の願い出があった場合はすみやかに事案を審査し、それが懲戒解雇または諭旨解雇に該当しないと認めた場合に限り辞職を承認することができる」(原文ママ)という条項がありました。
Xはこの規程を逆手にとって、辞職を承認したということは、Y社が懲戒解雇又は諭旨解雇にあたらないと判断したこと意味するのだと主張してきました。
懲戒規程を整備していたはずのY社にとって、規程の間隙を指摘されたかと思いきや、本判決ではXが勾留中で調査ができない状況であったことを認定し、Y社による辞職の承認は懲戒処分の判断を留保したという解釈を認めました。
昨今では、社内規程を整備されている企業は多いと思われます。本判決が、懲戒解雇又は諭旨解雇にあたるか否かというセンシティヴな判断が求められる場面で、「すみやかに事案を審査し」という規程の文言にとらわれず、事件の経緯に即した合理的な解釈、運用の余地を認めた点は注目に値します。これはY社が事後的にきちんと調査を行っていたからでもあり、規程上では想定外の事態であっても、事実確認や弁明の機会を与える等の懲戒処分に向けた正しいプロセスを踏んでいくことの大切さを留意しておくべきと言えるでしょう。
2 退職金の一部不支給について
本件は、社内での不祥事ではなく、私生活上の不祥事(非行)が懲戒解雇の引き金となった事案でした。Xによる本件非違行為が直接Y社の業務に支障を来すことはありませんでしたが、裁判所からは、本件非違行為に関する報道によってY社の名誉や信用が失墜したこと、報道への対応で業務への支障が生じたとして認定され、判断の俎上に上げられています。業務に関連しない私生活上の非違行為のケースとしては、退職金請求事件(東京地裁平成15年12月11日判決・判時1853号145頁)などがあります。同事件では電車内での痴漢行為(懲役4月,執行猶予3年の有罪判決)という非違行為によって退職金の7割の不支給が認められました。本件の方が刑事事件としては罪が重いですが、不支給が許容される範囲は、裁判所の総合考慮によるため、一概に非違行為の軽重だけで決まるとは限らない点を留意すべきでしょう。
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