従業員による退職届・退職願の撤回について
監修弁護士 家永 勲弁護士法人ALG&Associates 執行役員
労働者から退職届を受け取った後、「やはり撤回させてほしい」と頼まれることがあります。
これは、“勢い”で退職を決めてしまったケースや、会社に退職を強要されたケース等が考えられます。
しかし、一度退職を決めた労働者を再び雇うのはリスクが大きいため、撤回に応じるかは慎重に判断する必要があります。
このページでは、退職届の撤回に関するルールを詳しく解説します。撤回が認められるケースや撤回を拒否できるケース、注意点等をしっかり把握しておきましょう。
目次
退職届・退職願の撤回
労働者から「退職届・退職願を撤回したい」と頼まれたら、会社は応じる必要があるのでしょうか。一度退職を決意した者を働かせるのは会社としてもリスクがあるため、慎重に判断したいところです。
この点、退職の方法が「辞職」なのか「退職願」なのかによって対応が変わります。
撤回の申し出が認められるケースもあるため、まずはどちらに該当するかを確認する必要があります。
それぞれどんな方法なのか、下表で簡単にご説明します。
辞職 | 労働者が一方的に労働契約を終了させること |
---|---|
退職願 | 労働者が退職を申し出た後、会社が合意することで労働契約が終了すること |
退職手続き全体について知りたい方は、以下のページをご覧ください。
辞職の意思表示にあたる場合
辞職とは、労働者の一方的な意思表示によって労働契約を終了させることをいいます。雇用期間の定めがなければ、労働者はいつでも契約の解消を申し出ることができます(民法627条)。
また、辞職に使用者の同意・承諾はいらないので、解約申し入れの日から2週間が経過した後で退職の効力が発生することになります(民法627条2項)。
よって、会社の同意がない限り労働者は辞職の申し出を撤回できず、使用者も基本的に撤回に応じる必要はありません。
このルールは、民法上の規定に基づいています。
一方の意思だけで契約を解消できるとき、意向がコロコロ変わると相手に不利益をもたらすおそれがあるため、一度行った意思表示は撤回できないのが基本です(民法540条)。
退職願(合意解約の申込)にあたる場合
退職願(合意解約の申込)にあたる場合には、労働者からの退職の申し出を、会社が承諾することで労働契約は終了します。
この場合、退職の申し出はあくまでも“お願い”に過ぎないため、会社が承諾をしない限りは退職の効力が発生しません。また、会社が承諾の意思を示すまでは、退職届の撤回も可能となります。
反対に、一度退職を承諾してしまえば、会社は撤回に応じる必要がなくなります。
辞職と退職願の判別
実務上では、退職について本人の強い意思がない限り、合意退職の申入れと判断するのが一般的です。
辞職と合意退職どちらにあたるかは、事案ごとに個別に判断されますが、一般的には、申し出までの経緯が考慮されます。
労働者の「雇用契約を終了したい」という意思が客観的に明らかな場合、辞職の意思表示とみなされる傾向があります。
例えば、「どれだけ説得されても残るつもりはない」などと公言している場合、辞職と判断される可能性があるでしょう。
また、会社に提出した書面が「退職届」であれば辞職、「退職願」であれば合意退職の申込みという考え方もありますが、書類のタイトルだけで決めるのは不合理であり、このことのみをもって一律に決まることはないと考えられます。
退職届に対する使用者の承諾と権限
合意退職の場合、会社がすでに退職を認めていれば、退職届の撤回を拒否することができます。
では、退職を認める権利(承諾権限)は誰が有するのでしょうか。
一般的には、社長や支店長、人事部長などが権限を持つと考えられています。また、理事長や工場長が権限者と認められたケースもあります。
「すでに退職を認めた」というには、少なくともこれら権限者の手元に退職届が渡っていることが必要です。
単に上司が退職届を受け取ったり、机に置かれた退職届を確認したりしただけでは、承諾の意思表示をしたとはいえません。
退職届の撤回が法律によって認められるケース
労働者からの退職の申し出が本心でない場合や、勘違いによるものである場合等では、退職の意思表示が無効となることがあります。
これは、申し出が労働者の本意ではない場合、労働者はその意思表示を取り消すことができるという意味です。
では、どのようなケースで認められるのか、次項より解説します。
心裡留保による場合
心裡留保とは、本心とは異なる意思表示をする行為をいいます。代表的なのは、会社を辞める気がないのに退職届を提出するケースです。
通常、心裡留保でも意思表示の効力は認められますが、使用者が心裡留保を認識していた場合、その意思表示は無効となります。
つまり、使用者が「退職は労働者の本意ではない」と知っていた場合、退職の申し出は無効になります(民法93条)。
例えば、退職覚悟で仕事をしてほしいという口実で、労働者の退職届を預かっているという場合、その退職届は無効だと考えられます。
虚偽表示による場合
虚偽表示とは、当事者が共謀して虚偽の意思表示を行うことです。具体的には、労働者も使用者も雇用契約を終了させる気がないのに、退職したかのように見せかける行為です。
例えば、取引先とのトラブルを起こした労働者について、責任をとって辞めたと見せかけるために、会社と当該労働者が退職合意書を作成した場合等がこれに該当します。
しかしながら、虚偽表示による退職合意は、双方にとって本意ではないため、無効になるのが原則です(民法94条)。
したがって、後に会社の気が変わって、形式的に「一度退職に合意した」という理由をもって、当該労働者を退職に追い込むことはできません。
錯誤による場合
錯誤による退職とは、誤った判断により退職の意思表示をすることをいいます。
労働者に重大な思い違いがあったり、判断要素に誤りがあったりする場合、退職の申し出は取り消すことができます(民法95条)。
例えば、以下のようなケースが錯誤にあたります。
- 懲戒解雇されると思い込み、先に退職届を提出したが、そもそも解雇される予定はなかった
- 体調不良が続き、会社の勧めで退職を申し出たが、その傷病が労災にあたると判明した
これらの場合、労働者は退職届を撤回し、雇用の継続を主張できる可能性があります。
詐欺又は強迫による場合
詐欺とは、虚偽の情報を伝え、労働者に退職を迫る行為をいいます。例えば、解雇事由がないのに、「退職届を出さないと懲戒解雇する」などと吹き込む行為です。
強迫とは、労働者の恐怖心をあおって退職を強要する行為をいいます。例えば、「退職届を出さないと家族に危害を与える」「退職しないと給料が大幅に下がる」などと脅すことです。
また、労働者を長時間拘束し、執拗に退職を迫る行為も同様です。
これらの行為による意思表示は取消し可能であるため、労働者は退職の申し出を取り消すことができます(民法96条)。
もっとも、実際に懲戒解雇事由がある場合、「解雇になる可能性がある」と伝えても強迫にはなりません。
退職届の撤回を認めない場合の注意点
退職届の撤回を求められても、必ず応じる必要はありません。
ただし、退職届の撤回を拒否した場合、労働者から労働審判や訴訟を起こされる可能性があります。
具体的には、退職の無効や労働者としての地位(復職)を求められるのが一般的です。また、退職後の未払い賃金や損害賠償金を請求されることもあります。
「何が何でも撤回を認めない」という場合、このような労働トラブルに発展することも覚悟しておきましょう。
なお、労働者に退職を強要した場合、退職届の撤回が認められる可能性が高くなります。
この点、労働者は会社の不法行為について証拠を揃えてくると考えられるため、十分な対策が必要です。
退職届の撤回に関する裁判例
【東京地方裁判所 平成23年3月30日判決、富士ゼロックス事件】
〈錯誤による意思表示にあたるとして、退職の申し出が無効になった事例〉
原告Xは、被告Y社で勤務中、出退勤の虚偽申告や交通費の二重請求、休暇日の旅費申請など様々な非違行為をしました。
そこで、Y社は「懲戒処分」と「自主退職」のいずれかを選ぶよう、Xに迫りました。
Xは在職の意向を強く示していましたが、Y社から懲戒解雇の重大さを聞き、懲戒解雇を回避するために自主退職を申し出ました。
しかし、裁判所は、Xの行為の悪質性が懲戒解雇に値する程高くないことやY社にも責任があること、Xのこれまでの貢献度等により、Y社が有効に懲戒解雇をなし得なかった旨述べました。
そのため、裁判所は、Xが「自主退職しなければ懲戒解雇される」と信じたことは要素の錯誤にあたるとして、退職の意思表示が無効(令和2年改正前民法95条)である旨判示しました。
また、XのYに対する退職後の未払い賃金や賞与の請求権も認められました。
退職届に関するトラブルを回避するためにできること
退職届の撤回をめぐり、労働トラブルになると、余計な手間や時間がかかってしまい、他の労働者のモチベーションを低下させるおそれもあります。
そこで、、日頃から労働トラブルを回避するための策を講じておくことが重要です。例えば、以下の点を徹底しましょう。
- 退職届の取扱いに関するルールを明確にする(退職には使用者の同意が必要など)
- 承諾権者の範囲を明確にする
- 退職届は書面で提出してもらう
- 退職届の受取りを記録に残すため、受領書に当事者双方の署名・捺印を残す
- 退職届の受取り後は、速やかに権限者の承諾を得る
- 承諾後、労働者に承諾書を渡す(内容証明郵便で送ると安心です)
また、詐欺や、強迫を訴えられないよう、退職届の受取り時に立会人をつけることや、意思表示の様子を録音しておくことも重要です。
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この記事の監修
- 弁護士法人ALG&Associates 東京法律事務所執行役員 弁護士家永 勲 保有資格弁護士(東京弁護士会所属・登録番号:39024)
執行役員として法律事務所の経営に携わる一方で、東京法律事務所企業法務事業部において事業部長を務めて、多数の企業からの法務に関する相談、紛争対応、訴訟対応に従事しています。日常に生じる様々な労務に関する相談対応に加え、現行の人事制度の見直しに関わる法務対応、企業の組織再編時の労働条件の統一、法改正に向けた対応への助言など、企業経営に付随して生じる法的な課題の解決にも尽力しています。
近著に「中小企業のためのトラブルリスクと対応策Q&A」、エルダー(いずれも労働調査会)、労政時報、LDノート等へ多数の論稿がある